路線データ
路線名 | 釜石線 |
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ラインカラー | 青 |
路線区間 | 花巻〜釜石 |
路線愛称 | 銀河ドリームライン釜石線 |
路線距離 | 90.2km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 24駅 |
最高速度 | 85km/h |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 | 特殊自動閉塞式(軌道回路検知式) |
保安装置 | ATS-Sn |
運転指令所 | 盛岡総合指令室(CTC・PRC) |
ICカード乗車券エリア | Suica盛岡エリア:花巻〜新花巻 |
第一種鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
花巻駅(岩手県花巻市)と釜石駅(釜石市)を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線で、地方交通線。
愛称は銀河ドリームライン釜石線。これは作家の宮沢賢治が花巻市出身で沿線の花巻市・遠野市に縁がある事と、釜石線の前身にあたる岩手軽便鉄道が宮沢の代表作『銀河鉄道の夜』のモデルになったとされている事に因んでいる。
また宮沢が作中でエスペラント語をよく登場させていたこともあり、各駅にはエスペラント語による愛称が付与されている。
かつてはこれに因んだ定期的な観光列車(「SL銀河」)の運行も行われていた。
花巻市・盛岡市と釜石市等の三陸を結ぶ快速列車が運行されているなど地域間輸送の役割を果たしている他、新花巻駅で東北新幹線とも接続しており、対首都圏・仙台都市圏と三陸地方を連絡する役目もある。
但しほぼ全線に渡り釜石自動車道(釜石道)と国道283号が並走していることもあって、高速バスとマイカーが競合状態にあり、特に2019年の釜石道全通後は利用者数が減少傾向にある。
この路線の敷設目的の1つでもあった釜石製鉄所への貨物輸送は全線開通時から行われ、国鉄民営化後も1990年代まで釜石駅に隣接する新日本製鐵釜石製鐵所へ至る貨物列車が運行されており、1999年(平成11年)4月1日に正式に廃止されるまで日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者として免許を保有していた。
また1993年(平成5年)4月1日まで釜石鉱山の石灰石鉱山への専用線が接続していた上有住駅も貨物営業を行っており、上有住鉱山→釜石製鉄所間の石灰石輸送も行われていた。
花巻駅〜新花巻駅間は交通系ICカード乗車券「Suica」盛岡エリアに組み込まれている。
沿革
元々花巻駅〜足ケ瀬駅〜仙人峠駅(廃止)間の釜石西線と、陸中大橋駅〜釜石駅間の釜石東線の二区間がそれぞれ開業し、1950年(昭和25年10月10日に足ケ瀬駅〜陸中大橋駅が結ばれた事で全通した。
釜石西線
釜石西線は軌間762mmで建設された軽便鉄道であり、岩手軽便鉄道が1913年(大正2年)10月25日に最初の区間である花巻駅〜土沢駅間が開業。1915年(大正4年)11月23日に全線開通した。
しかし仙人峠駅と大橋地区(陸中大橋駅付近)の間はわずか4kmの間で標高が300m変化する険しい山岳区間であり、この間に仙人峠を超えなければならない事から鉄道での敷設が断念された。その代替手段として郵便や貨物を運ぶためのロープウェイを敷設し、旅客は並走する山道を利用した徒歩連絡を行った。
その後1927年(昭和2年)には鉄道敷設法に「岩手県花巻ヨリ遠野ヲ経テ釜石ニ至ル鉄道」の文言が追加され、1929年(昭和4年)に着工が決定。1936年(昭和11年)8月1日に岩手軽便鉄道は国へ買収され、釜石線(初代)となった。この時にロープウェイも併せて買収された為、国鉄及びその前身組織が運営する唯一のロープウェイとなった。
1944年(昭和19年)10月11日に後述の釜石東線が開通した為、釜石西線に改名された。
また1943年(昭和18年)から1949年(昭和24年)にかけて改軌工事を実施。これは将来釜石東線区間を含めて全線開通し、東北本線へ接続する際に本線に軌間を合わせるためである。
太平洋戦争(大東亜戦争)末期の戦局悪化に伴い改軌及び延伸工事は一時中断されるも、1948年(昭和23年)に山田線がアイオン台風により被災し長期運休を余儀なくされた事で代替路線として工事が再開。足ケ瀬駅からトンネルで一旦気仙川流域へ出る新線を建設、上有住駅を経由して土倉峠の下をトンネルで抜け、仙人峠の東側斜面を大きく北へ迂回するオメガΩ状のループ線形でこの難関区間を克服し陸中大橋駅へ至るルートとなった。
なお改軌工事が行われなかった足ケ瀬駅〜仙人峠駅間及びロープウェイは釜石線全通時に廃止されている。
釜石東線
釜石東線としては1944年10月11日に釜石駅〜陸中大橋駅間が貨物線として開業したが、開通以前からほぼ同一区間に釜石鉱山専用鉄道、同鉄道廃止後は釜石高山馬車鉄道(後の釜石鉱山鉄道)が通っていた。
釜石東線開通後も釜石鉱山の鉄鉱石を輸送する貨物専用鉄道(釜石鉱山鉄道)として1965年(昭和40年)4月1日まで営業していた。国道283号の釜石市内区間のうち、陸中大橋駅付近で釜石線と接近する一部区間が廃線跡となっている。
釜石東線は開通翌年の1945年(昭和20年)6月15日から旅客営業を開始した。
全通後
1950年10月10日に釜石西線の延伸が完了し、釜石東線を編入して(2代目)釜石線となった。
1967年(昭和42年)3月20日には定期列車の無煙化を達成。
1985年(昭和60年)3月14日には東北新幹線との交点部分に新花巻駅が開業し新幹線と接続した。この時近くにあった矢沢駅が新花巻駅開業に合わせて廃止されているが、矢沢駅跡と新花巻駅は400m程度しか離れていなかった為、釜石線の部分については事実上は矢沢駅の移転という形になった。
1987年(昭和62年)4月1日に国鉄が分割民営化。JR東日本が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者として継承した。
1995年(平成7年)3月1日に銀河ドリームライン釜石線の路線愛称と、エスペラント語による駅名愛称の使用を開始。
1999年4月1日に貨物営業及びJR貨物の第二種鉄道事業を廃止した。
2023年(令和5年)5月27日に「Suica」盛岡エリアが制定され、釜石線内では花巻駅〜新花巻駅間が指定された。
運行形態
快速はまゆり
詳細は当該記事を参照。キハ110系が使用されている。
急行「陸中」を格下げする形で運行を開始した快速列車。
盛岡駅〜釜石駅間で3往復運行されているが、東日本大震災で山田線が被災するまでは上り1本が宮古駅始発で運行されていた。
普通
キハ100系が使用されている。
全線通しの列車が下り7本・上り8本運行され、半数は盛岡駅発着である。最長5時間程度列車間隔が開く時間帯が存在する。
現在直通運転を行っているのは東北本線のみだが、2010年(平成22年)3月13日ダイヤ改正までIGRいわて銀河鉄道に直通して好摩駅まで乗り入れていた。
また震災当日まで山田線直通列車も設定されていた。なお山田線津軽石駅(三陸鉄道リアス線転換区間)で津波により被災したキハ100系は、1647D盛岡発釜石経由宮古行として直通運用に就いている最中だった。
2025年(令和7年)度下期にハイブリッド気動車のHB-E220系が導入され、キハ100系を順次置き換える予定である。
臨時列車
基本的には東北本線直通列車が設定され、HB-E300系ハイブリッド気動車による「ひなび(陽旅)」、および豪華クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」が入線する。
この他に稀に三陸鉄道リアス線直通列車が運行される事もある。
なお釜石線を代表する臨時列車は「SL銀河」が知られているが、客車の老朽化に伴い2023年6月11日をもって運行終了した。上記の「ひなび(陽旅)」はこの「SL銀河」の後継に当たる観光列車である。詳細は当該記事を参照。
駅一覧
現存区間
●:停車 ○:一部停車 レ:通過
駅名 | 快速 | 乗換路線 | エスペラント | 備考 |
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↑東北本線盛岡まで直通運転 | ||||
花巻 | ● | 東北本線 | チェールアルコ(虹) | |
似内 | レ | ラ・マールボルド(海岸) | ||
新花巻 | ● | 東北新幹線 | ステラーロ(星座) | |
小山田 | レ | ルーナ・ノクト(月夜) | ||
土沢 | ● | ブリーラ・リヴェーロ(光る川) | ||
晴山 | レ | チェリーズ・アルボイ(桜並木) | ||
岩根橋 | レ | フェルヴォイポント(鉄道橋) | ||
宮守 | ● | ガラクシーア・カーヨ(銀河のプラットホーム) | ||
柏木平 | レ | グラーノイ(どんぐり) | ||
鱒沢 | ○ | ラクタ・ヴォーヨ(天の川) | ||
荒谷前 | レ | アクヴォラード(水車) | ||
岩手二日町 | レ | ファルミスタ・ドーモ(農家) | ||
綾織 | レ | テクシーロ(機織り機) | ||
遠野 | ● | フォルクローロ(民話) | 当駅始発あり | |
青笹 | レ | カパーオ(河童) | ||
岩手上郷 | ○ | ツェルヴォダンツォ(鹿踊り) | ||
平倉 | レ | モンタ・ディーオ(山の神) | ||
足ケ瀬 | レ | モントパセーヨ(峠) | ||
上有住 | レ | カヴェルノ(洞窟) | ||
陸中大橋 | レ | ミナージョ(鉱石) | ||
洞泉 | レ | ツェルヴォイ(鹿) | ||
松倉 | ● | ラ・スーダ・クルーツォ(南十字星) | ||
小佐野 | ● | ヴェルダ・ヴェント(緑の風) | ||
釜石 | ● | 三陸鉄道リアス線 | ラ・オツェアーノ(大洋) |
廃止駅
- 矢沢駅:似内駅〜新花巻駅間。1985年3月14日廃止。
- 中鱒沢駅:鱒沢駅〜荒谷前駅間。1936年(昭和11年8月1日廃止。
- 関口駅:青笹駅〜岩手上郷駅間。1950年10月10日廃止。
- 赤川停留場:関口駅〜岩手上郷駅間。1927年(昭和2年)12月13日廃止。
廃止区間
1943年9月20日廃止
1950年10月10日廃止
使用車両
現在の使用車両
- キハ100系0番台・キハ110系0・100・150番台
盛岡車両センター所属の一般形気動車。震災前は山田線転換区間との共通運用だった。
キハ100系は普通列車、キハ110系は0番台がかつての急行「陸中」及び快速「はまゆり」の指定席車、100・150番台が「はまゆり」の自由席車で運用中。
- キハ100系「POKÉMON with YOU トレイン」
盛岡車両センター一ノ関派出所所属の「のってたのしい列車」用気動車。
臨時列車として入線する。
- HB-E300系
盛岡車両センター所属のハイブリッド気動車。臨時列車として入線する。
- E001形「TRAIN SUITE 四季島」
尾久車両センター所属の同名クルーズトレイン専用車両。
- キヤE193系「East i-D」
秋田総合車両センター南秋田センター所属の事業用気動車(検測車)。
盛岡車両センター所属のディーゼル機関車。工事列車や団体列車を牽引する。
過去の使用車両
自社車両
特記以外は盛岡車両センター所属。
国鉄時代から運用されていた急行形(キハ58系)・一般形(キハ52形)気動車。
キハ58系は急行「陸中」としても運用されていた。
- キハ58系「kenji」
団体列車用のジョイフルトレイン。
仙台車両センター小牛田派出所所属の観光列車用気動車。
臨時列車として入線した。
C58単体では釜石線の上り勾配を走行する事が困難な為、JR北海道から札沼線電化に伴い余剰となった元50系客車のキハ141系を購入し、動力を残したまま客車として運用された。
キハ141系の老朽化に伴い運用を終了した。
- 24系寝台車
2009年(平成21年)9月22日・23日「快速銀河ドリーム号」として盛岡~釜石間で運転。
電源車+寝台車4両の5両編成で入線した(全車指定座席扱い)
電源車や牽引機のDE10を含め、青森車輛センター所属の車輛で運転された。
東北本線内は客車の前と後ろに機関車をつけたプッシュプル運転で運行されている。
現時点で寝台列車が釜石駅に入線した唯一の事例である。
(上記の「TRAIN SUITE 四季島」は遠野駅までしか入線しない)
JR四国所属
高松運転所所属のJR四国の観光列車「アンパンマントロッコ」用車両。
2012年(平成24年)に被災地復興支援の為、東日本・四国・貨物のJR三社共同運行の団体列車として入線した。
イラストはいずれも改造前の原型のもの。
導入予定
ハイブリッド気動車。
キハ100系・110系置き換えの為に2両編成6本・1両編成4本の計10本が導入予定。
余談
急行陸中ガス欠
1990年(平成2年)11月14日に土沢駅構内で発生したトラブル。国鉄分割民営化後の珍事として知られている。
盛岡駅発釜石駅行の「陸中3号」(キハ110系一般形気動車)が起点の盛岡駅で給油を忘れ、土沢駅で燃料切れを起こして立ち往生。近隣のガソリンスタンドから急遽自動車用の軽油を調達し、2時間半後に運転を再開した。
なお過去には気動車への給油忘れによるガス欠はしばしば発生しており、JR東日本管内では2005年(平成17年)1月13日に北上線ゆだ高原駅〜ほっとゆだ駅間で普通列車(キハ100系一般形気動車)が立ち往生している他、JR北海道根室本線やJR東海参宮線・JR四国予讃線でもガス欠により普通列車が立ち往生した事例がある(但し参宮線については当該車両は前日に新宮駅始発の紀勢本線運用に就いており、新宮駅を管轄するJR西日本職員が給油を忘れた事が原因の為JR東海も被害者である)。
近年では新型車両の燃費向上やハイブリッド型車両の導入などにより、このような事例が発生する確率は低くなっている。
2024年11月にHB-E220系の導入か発表されたが、これまでのキハ110系の2扉クロスシート車に対して3扉ロングシート車という内装であり、指定席車両もある快速「はまゆり」の今後や新幹線連絡など都市間需要に対するサービス低下を招くのではとSNS上で議論を呼んでいる。