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少弐経資の編集履歴

2023-05-27 17:49:08 バージョン

少弐経資

しょうにつねすけ

少弐経資は、鎌倉時代中期の九州で活動した武将。

人物

プロフィール

性別男性
生没年1226―1289
出身地北九州
役職筑前豊前肥前壱岐対馬国(いわゆる三前二島)の守護
関わった事件・出来事霜月騒動 岩戸合戦 蒙古襲来

活動

鎌倉時代の武将。資能 (すけよし) の嫡子。法名浄恵 (じょうえ) 。大宰少弐・大宰府執行職 。蒙古襲来に際して活躍。1285(弘安8)年、弟景資 (かげすけ) を岩門合戦で破る。この合戦は現在の福岡県那珂川市で戦われたが、霜月騒動の九州版ともいうべきもので、景資側に安達泰盛の子息で肥後国守護代盛宗(もりむね)が荷担していた。しかし合戦の結果は、少弐経資の勝利となり、景資・盛宗側の所領はほとんど没収されたため、北条氏の恩賞地配分にとって絶好の機会となり、得宗専制はいよいよ強化された。翌1286年、幕府は博多鎮西談議所 を設置し、大友頼泰宇都宮通房 (みちふさ) らとともに、経資は頭人となった。


関連タグ

霜月騒動 蒙古襲来 鎮西談義所


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キャラクター・人名 日本史

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