概要
7世紀後半(696年以前)に肥国(ひのくに)を分割して設置された。
国府は佐嘉郡(現在の佐賀県佐賀市大和町)に置かれた。跡地は現在「肥前国庁跡」として史跡に指定されている。
領域は現在の佐賀県のほぼ全域と長崎県のうち壱岐(旧壱岐国)と対馬(旧対馬国)を除く地域に跨がっている。
古代から中国・朝鮮半島へ向かう遣隋使・遣唐使などが往来し、中世には倭寇の拠点ともなった。戦国時代からは西欧諸国との窓口となり、長崎にはポルトガル(後にオランダ)の商館が出島に置かれ、江戸時代の貿易制限下にあっても海外貿易の数少ない拠点とされた。
戦国時代後期以降、領域の過半は龍造寺氏、ついで鍋島氏(佐賀藩)が支配したが、他にも鎌倉・室町時代からの領主が近世大名化した大村氏(大村藩)・松浦氏(平戸藩)・五島氏(福江藩)等が領地を有した。
関連タグ
肥前(戦艦):旧ロシア帝国海軍戦艦レトヴィザンを鹵獲し編入された旧大日本帝国海軍の戦艦。艦名は肥前国に由来。
風土記:肥前国風土記が数少ないほぼ完全に現存するものとなっている。
西肥自動車:長崎県佐世保市のバス会社。「肥」前の「西」部に主な路線を有する。