曖昧さ回避
概要
人工島「出島」
江戸時代の1634年に江戸幕府の対外政策の一環として天領である長崎の海中を埋め立てて造られた扇形の島。日本初の本格的な人工島で当時は「築島」と呼ばれ本土とは僅か一本の橋で繋がれていた。扇型で面積は3,969坪(1.5ha)。長崎奉行所の管理下にあり1636年〜1639年までは対ポルトガル貿易、1641年からはオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われた。これは幕末に日蘭通商条約が結ばれた翌年の1859年まで続いた。
江戸幕府は初代将軍徳川家康が三浦按針やオランダ商人など(カトリックを信奉する)ポルトガル商人と敵対している勢力の人材を重用したのに対し、ポルトガル商人に対しては不信感を抱き、大坂の陣でも警戒しており豊臣家が滅亡した後でも警戒していた。三代将軍徳川家光の時代の1636年、幕府はこの島に日本で活動するポルトガル人を収容したが、その翌年に島原の乱が発生。鎮圧後、幕府はポルトガル人の追放に踏み切りわずか3年で無人島となった。その後、今度はオランダ商人が警戒されるようになり島原の乱の二の舞を恐れた幕府により平戸からオランダ商館が移転された。その後長らく唯一日本とオランダ・清を結ぶ窓として日本の近代化に大きな役割を果たしたが、明治期には周囲を埋め立てられ姿を消した。
現在では長崎市に出島町として地名が残っており、1996年度に開始された復元事業により当時の建築物が復元された観光地となっている。
列車愛称「出島」
人工島の出島が由来。国鉄時代、長崎駅に発着する列車に使用された。
- 初代:1960年5月に博多駅〜長崎駅間(佐世保線・大村線経由)の準急列車としてデビュー。肥前山口駅までは肥前鹿島駅経由で同区間を結ぶ準急「ながさき」や早岐駅までは博多駅〜佐世保駅間を結ぶ準急「弓張」と併結していた。1963年6月改正で廃止。
- 2代目:1963年6月、新たに広島駅〜長崎駅間の急行となり小倉駅までは広島駅〜別府駅間の急行「べっぷ」と併結されていた。1964年10月、「べっぷ」は広島駅・門司港駅〜西鹿児島駅間の「青島」になり「出島」は呉駅〜長崎駅間の急行となり併結を解消。1966年3月に佐世保編成が増結される。1975年3月ダイヤ改正で廃止。
- 3代目:1975年3月ダイヤ改正で小倉駅・博多駅〜長崎駅間の急行「いなさ」を改称して登場。この「いなさ」自体は準急「ながさき」の後身である。「ながさき」以来の多層建て列車であり島原鉄道加津佐駅発着の付属編成や佐世保駅発着の「弓張」に熊本駅〜長崎駅間(佐賀線経由)の「ちくご」さらに別府駅〜長崎駅・佐世保駅間(鹿児島本線・久大本線経由)の急行「西九州」と併結されるなどバラエティに富んでいた。しかし、「ちくご」と「西九州」は1980年10月改正で廃止となり「出島」は「弓張」諸共1982年11月改正で廃止されそれぞれ特急「かもめ」と「みどり」に吸収された。
ネタ
- TBS系列で放送されていた歌番組『うたばん』でモーニング娘。が「まじで?でじま?まじでじま?」というフレーズを放ったが出島とは特に関係ない……と思われる。
- 他にも『苺ましまろ』のアニメ11話で皆が牛乳を飲んでいる時に松岡美羽が「まじでじま」と言って笑わせたシーンがある。