※本機を擬人化したアッシュアームズのキャラクターについてはスツーカ(アッシュアームズ)を参照のこと。
Ju87とは
ユンカース社が1934年に開発した急降下爆撃機。翌年にはドイツ再軍備宣言が出され、正式な生産命令が下されている。ナチスドイツのプロパガンダでも多く取り上げられたせいもあり、本来では急降下爆撃機全般を指す「スツーカ」が、この機の事実上の二つ名となっている。
Ju87の特徴
運動性
逆ガル翼の複座機で、急降下爆撃に耐えるよう頑丈に製造されている。安定した操縦性を持ち、精密性が要求される急降下爆撃に適した機体となっている。
爆弾が無い時に限っては戦闘機並みの運動性があり、ノルウェー方面では戦闘機代わりに出撃した事がある他、参考に輸入した日本でも「一式戦闘機なみの運動性がある」と評している。
操縦支援
特筆すべきはパイロットへの潤沢な操縦支援である。
たとえば、高度計に連動したブザーを任意の高度で鳴らすことができる。パイロットはブザーが鳴ったら操縦桿を引けばいいので、急降下中は爆撃照準に集中できる。加えて投弾すると自動で機体を水平まで引き起こしてくれる自動操縦装置もあり、G(加速度)によってパイロットが失神しても墜落しないための工夫であった(しかし実戦では「敵に動きを読まれる」として好まれなかったともいわれる)。
ふつう急降下爆撃は降下角60度(前後)・投弾時速度500km/h(未満)・投弾高度は600m(以上)で行われ、あらかじめ標的を前下方に据えて徐々に降下角度をきつくしていくのが当時の通常である。
ところがJu87の場合、操縦補助のおかげで通常より大胆な急降下が可能になり、
・角度90度(垂直)
・投弾時速度600km/h
・投弾高度450m
という精密照準が可能になった。標的の真上から低く爆弾を落とすので、爆撃精度は非常に高くなる。本当の意味で「垂直降下・爆撃」できる機体は他になく、Ju87は先進的であった。
ただし機体引き起こしの際にパイロットにかかる負担は大きく、グレーアウト・ブラックアウトは日常茶飯事だった。ユンカース社デッサウ工場ではパイロットの耐G適性強化のために様々な研究を行い、戦後その成果にアメリカは大いに関心を惹かれたという。
Ju87の活躍
スペイン内戦で義勇兵コンドル軍団で地上支援に使用され、第二次世界大戦でも前半ではポーランド、フランス、ソ連などで地上支援に活躍し、精密な爆撃で軍の進軍を阻む障害を取り除く様から「空の大砲」と呼ばれた。
また急降下時にサイレンのような音を出して相手を威嚇した事から小型サイレンをつけて鳴らし、敵に心理的攻撃を与え、それは「ジェリコの喇叭」と呼ばれた。
一方、海上を低速で動く輸送船などはともかく、高速で回避運動をとる軍艦に対して水平爆撃は命中率は悪く有効では無かったが、急降下爆撃は有効であった。雷撃専門機をマトモに開発することがなく、ひたすら爆撃一本鎗で対艦攻撃に向いていないドイツ空軍が、地中海などの戦いで英海軍に駆逐艦を中心に多大な損害を強いる事が出来たのは、本機の活躍も一端にある。
(しかし爆弾だけでは上部構造物を主に破壊するのみで、喫水線下の部分に損傷を与え、そこから浸水を起こす雷撃に比べれば艦船を沈めるのは難しく、損害の割には戦果が見合わないのは目に見えていた。だが空軍省は日本海軍がマレー沖海戦で戦闘行動中の戦艦を撃沈するまでは、爆弾に比べて構造が複雑で炸薬量も少ない航空魚雷による攻撃の有効性をなかなか認めようとはしなかった。
ノルウェー沖合での援ソ支援物資船団阻止では航続距離の関係からかJu87は投入されなかった事もあり爆撃は水平、緩降下爆撃が主体で、航空魚雷攻撃の方は訓練を受けた部隊の少なさにより全体的に攻撃は稚拙であり、戦果を思うように挙げられず、護衛空母の登場で戦闘機の護衛がつくようになると航空攻撃の成果は激減する事となる)
Ju87の旧式化
しかしながら1936年より運用されていたスツーカは、バトルオブブリテン(1940)当時にはすでに陳腐化していた。低速(最大約380km/h)・低防御(本格的な防弾仕様はD型まで待たなければならない)・低航続(1000~1500㎞)などが問題にされた。
また当初は次第に機影を大きくしていく本機の急降下爆撃は目標とされた相手に心理的に大きな不安を与え、ジェリコの喇叭はそれを増大させるものであったが、やがて相手がその攻撃法に慣れてくれば、急降下中は相手に自身の機体を晒す脆弱な時間ともなり損害は増加し始め、ジェリコの喇叭も自身の存在を暴露するとして外されていった。
後継機にはFw190F/GやHs129などが登場したが、Ju87は1944年5月の生産終了まで工場がほとんど空襲を受けなかったこともあり、現役に堪える機体が多くあった。またJu87G仕様への改造も有効であり、終戦まで運用は続いた。
派生型
Ju87A
最初に制作された試作機・増加試作機で、のちの生産型と違って無線アンテナが2本伸びていること、固定式主脚のカバーが大型である事などが違っている。エンジンはユモ210Aを搭載していたが、出力不足によりA-1ではユモ210Dに変更された。同時にプロペラも大径化され、主翼には7.92mm機銃MG17が左右1挺ずつ内蔵されている。A-2ではエンジンに2段式スーパーチャージャーを備えたユモ210Daとなり、プロペラは更に可変ピッチ式となった。
最大500kgの爆弾を搭載できるが、これは後席銃手の居ない場合に限られる。ユモ210Daをもってしても出力不足気味であり、スペイン内乱では機体を軽くするために後席銃手なし・爆弾250kgまでの状態で運用された。
Ju87B/R
ポーランド侵攻やフランス戦、バトルオブブリテン等、初期の看板ともいえる型で、Ju87Aと比べて簡易化された主脚カバーを備え、左右にあった補助支柱を廃止。単一化されたアンテナに加えて、ユモ211エンジンへ換装された。B-2からは車輪をスキーに替えた冬季用・大型エアフィルターを備えた砂漠用への改造ができるようになり、エンジンカウリング下部にはカウルフラップが追加されている。
Ju87RはB型を基本とした長距離型で、胴体内部に燃料タンクを増設して、主翼にも増槽それぞれ1個を搭載できるようになったのが特徴。R-2ではユモ211Dエンジンに強化した他、この状態で時速600km/hの急降下に耐えるべく構造も補強された。ただし引き換えに重量が増加して性能は低下している。
Ju87C
Ju87Bを基に、ドイツ海軍初の空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機として開発されたが、同艦の建造中止により試作2機が改造されたのみに終わった。
改造内容としては胴体に着艦用制動フックを備え、不時着水を想定してゴム製の浮袋を内蔵。さらに2名分の救命ボートを用意しており、主翼を延長して折り畳み機構を備えている。艦隊これくしょんでは、これを元にした「Ju87C改」が登場。
Ju87D
バルバロッサ作戦以降のJu87主力型。
バトルオブブリテン(1940)ではJu87Bの低速・低防御が元で大損害となったが、ドイツ空軍には新規開発機を待つ余裕はなかった。Ju87Dは性能強化により急場を凌いだ型で、機体全体にわたって再設計されている。
エンジンは1400馬力のユモ211Jとなり、後席の防御機銃は7.92mm機銃MG81Zの2連装となった。防御装甲も施されるようになって搭載力も向上し、500kg爆弾1コ+50kg爆弾4コが標準となった。多少の無理さえ承知すれば1800kg爆弾も搭載可能。
(ハンス・ウルリッヒ・ルーデルがこの爆弾で「マラート」を大破・着底に追い込んだことは有名)
D-1
それまでと同様の急降下爆撃機。
D-2
もともと熱帯地仕様として開発されていたが、アフリカ軍団が総統の意識から遠ざかるにつれ、本腰をあげた開発は行われないようになった。D-2の分類は、旧式化したD-1をグライダー曳航用として再就役させた機に割り振られたが、そうなると今度は乗員保護用の装甲のせいで重く、曳航用としては性能も評判も悪かった。
D-3
これもD-1と同様の急降下爆撃機型で、生産数の多くは夜間用に消炎排気管を備えたD-3/N仕様や、熱帯地用のD-3/trop仕様となっていた。のちのD-4、D-5の開発元となった。
D-4
Ju87Cのような艦載雷撃機型。翼端を延長した主翼となり、翼内機銃を20mm機銃MG151/20(各銃500発)へ強化していた。魚雷も搭載可能となっていたが、もちろん「グラーフ・ツェッペリン」建造中止に伴って開発も中断。
D-5
D-3を基にD-4のような強化を盛り込んで、エンジンもユモ211Pとした型。急降下爆撃機というよりも襲撃機に近い能力となり、ダイブブレーキは取り外している。かわりに防弾装備を充実させており、搭載力は最大1000kg程度に低下している。主翼を延長してあり、翼面荷重も低くなった。
主翼の機銃をMG151/20に強化したほか、主翼爆弾架はR型以来の増槽兼用ラックが付けられた。爆弾・増槽などの組み合わせにより多様な任務に対応している。
D-6
Ju87D系統の練習機型。少数生産。
D-7
Ju87D-1をD-5規格へ改造したもの。
D-8
Ju87D-3をD-5規格に改造したもの。
Ju87E
Ju87D-4から発展した艦載機型だが、こちらも当然開発中止。
Ju87G
クルスクの戦いに前後して急降下爆撃そのものが時代にそぐわなくなり、襲撃機としてもFw190に取って代わられるようになったJu87を、今度は対戦車用攻撃機として改造したもの。通称『カノーネンフォーゲル(大砲鳥)』。
対戦車用ならばHs129のほうがよっぽど効果的だろうと思われるだろうが、この機はただでさえ重量過多で、特に7.5cm砲を搭載したHs129B-3ではますます性能低下していた。エンジン2基を搭載することから手間もかかり、そもそもこんな低性能機に資源を廻すくらいならFw190を増産したかった。そのFw190はというと、ブレーメンの工場が始終空襲を受けているせいで生産は進まず、完成機体は常に引っ張りダコの状態であった。
そこでJu87Gは「今すぐ用意できる、有効で手頃な対戦車攻撃機」として開発された。機体そのものはJu87D系統そのままだが、3.7cm高射砲Flak18を内蔵した専用ガンポッドBK3.7とタングステン高硬度弾芯弾により、見事現役に返り咲いた。とくにG-2では、D-5以来の延長主翼が失速速度を低下させており、航空機と戦車との速度差を少しでも埋めるためには有効だった。
しかし大口径の機関砲をポン付けしたため、空気抵抗と重量で性能は低下した。3.7cm砲を撃てば反動で減速する上、前後どころか左右のバランスも悪く、弾薬が同時に発火しないとバランスを崩して墜落する恐れがある。その扱いづらさにハンス・ウルリッヒ・ルーデルすら、『操縦が恐ろしく難しい機体』と評している。
(とはいえ、そう言いながら数分でT-34を12輌もスクラップにしたり、機体をとっかえひっかえしつつ上陸用舟艇約70隻を沈めたり、敵2個師団相手に無双したりしている。やっぱりコイツ人間じゃねぇ!!)
制式に製造・改造されていなくても、実際にはJu87Dの残存機も多くBK3.7ガンポッドを搭載し、対戦車攻撃機として改造・運用されたという。新規製造のほか改造で200機ほどがこの仕様になったといい、Ju87を使いこなした熟練パイロットは対戦車攻撃でも大きな戦果を挙げられるようになった。
G-1
Ju87D-1を基にBK3.7ガンポッドを増設したもの。軽量化のため主翼の7.9mm機銃は取り外している。
G-2
D-5仕様のように延長主翼になっているもの。
Ju87H
Ju87Dを基に、前後席に操縦装置を備えた練習機型。
Ju87T
Ju87Dを基にした空母艦上機型。計画のみ。
悪魔のサイレン
逆ガル翼と大きく張り出したプロペラが空気との摩擦で、急降下突入と同時にサイレンのような風切り音を発した。スペイン内戦では「悪魔のサイレン」や「ジェリコのラッパ」(※)と恐れられ、多くの兵士たちが混乱に陥ったという。のちに翼に小型のプロペラ式警報器を取り付けて敵への威嚇効果を狙った機体も登場したが、隠密性を失って危険なのが分かり、1941年(新規製造でいえばD型)以降「ラッパ」は使用されなくなった。
※ヨシュアは祭司たちとラッパを鳴らしながら7日に渡ってジェリコの城壁を周回し続け、8日目に城壁は崩れ去った。(旧約聖書)
日の丸スツーカ
2013年8月、滋賀県東近江市の平和祈念館に寄贈された写真の中から、同市の八日市飛行場に配備されていたJu87と思われる機体を撮影したものが発見された。1939年に大日本帝国陸軍が研究用に輸入した機体で、形状からB型と推測されている。