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正親町三条家の編集履歴

2023-07-07 09:48:44 バージョン

正親町三条家

おおぎまちさんじょうけ

正親町三条家とは公家の家格の大臣家の一つ。明治になってから嵯峨に改姓した。

概要

三条家の分家の正親町三条家の分家で正親町三条公氏が始祖、5代目の当主公秀が内大臣に就任したことで大臣家の家格となった。幕末の当主実愛は中御門経之と中山忠能と共に王政復古を実現させた。

明治維新後は伯爵に叙爵したが実愛の功によって侯爵に叙爵された。


歴代当主

氏名生年、誕生日続柄
1正親町三条公氏寿永元年(1182年)三条実房の三男
2正親町三条実蔭正治元年(1199年)公氏の長男
3正親町三条公貫暦仁元年(1238年)実蔭の男子
4正親町三条実躬文永元年(1264年)公貫の三男
5正親町三条公秀弘安8年(1285年)実躬の男子
6正親町三条実継正和2年(1313年)公秀の男子
7正親町三条公豊正元元年(1259年)実継の男子
8正親町三条実豊不詳公豊の男子
9正親町三条公雅元中元年/至徳元年(1384年)実豊の男子
10正親町三条実雅応永16年(1409年)公雅の男子
11正親町三条公治嘉吉元年(1441年)実雅の男子
12正親町三条実望寛正4年(1463年)公治の男子
13正親町三条公兄明応3年(1494年)実望の男子
14正親町三条実福天文5年(1536年)公兄の男子
15正親町三条公仲弘治3年4月20日(1557年5月18日実福の男子
16正親町三条実有天正16年(1588年)公仲の男子
17正親町三条公高元和5年8月27日(1619年10月4日実有の男子
18正親町三条実昭寛永元年11月24日(1625年1月3日実有の男子
19正親町三条公廉慶安2年3月17日(1649年4月28日公高の男子
20正親町三条実久明暦2年6月21日(1656年8月11日実昭の次男
21正親町三条公統寛文8年2月18日(1668年3月30日公廉の男子
22正親町三条実彦元禄16年10月30日(1703年12月8日滋野井公澄の男子
23正親町三条公積享保6年9月3日(1721年10月23日実彦の男子
24正親町三条実同寛延元年9月3日(1748年9月25日公積の男子
25正親町三条公則安永3年6月16日(1774年7月24日実同の男子
26正親町三条実義寛政10年11月2日(1798年12月8日公則の男子
27正親町三条公厚文政3年1月2日(1820年2月15日実義の長男
28正親町三条実愛文政3年12月5日(1821年1月8日実義の次男
29嵯峨公勝文久3年6月9日(1863年7月24日実愛の男子
30嵯峨実勝明治20年(1887年)6月23日公勝の長男
31嵯峨公元1922年(大正11年)1月12日実勝の長男
32嵯峨実允1963年(昭和38年)公元の長男

分家


  • 三河戸田家(武家、美濃大垣藩→伯爵家、信濃松本藩・下野宇都宮藩・下野足利藩・下総曽我野藩・美濃野村藩→子爵家):公治の次男・実興の末裔を自称。

外部リンク

正親町三条家 - Wikipedia


関連項目

朝廷 公家 大臣家 三条家 嵯峨家

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