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コンスタンティヌス1世の編集履歴

2012-06-15 22:16:58 バージョン

コンスタンティヌス1世

こんすたんてぃぬすいっせい

第46・50代ローマ皇帝コンスタンティヌス家2代当主 帝都をローマからコンスタンティノープルに移しそこで政治を行った初代の元首 聖人 在位:306年 - 337年  272年2月27日 - 337年5月22日

第46・50代絶対元首

コンスタンティヌス家2代当主

  • 在任:306年 - 337年  272年2月27日 - 337年5月22日

世界の首都』をローマからコンスタンティノープルに移しそこで政治を行った初代のローマ元首

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第44・45第ローマ元首・ローマニア西方地域元首であり4元首の一人コンスタンティウス・クロルス(皇帝コンスタンティヌス家初代)の息子。


キリスト教を公認してその後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから

正教会東方諸教会東方典礼カトリック教会などのオーソドクスからは

聖人とされ、あの十二使徒に匹敵する重要な人物だといわれることもある。十三使徒


記憶日は、その母太后聖ヘレナと共に6月3日。


中世ヨーロッパ世界が始まる生涯

若き日のコンスタンティヌス将軍は西のマクセンティウス元首と協力してまず邪魔者だったウァレリウスを幽閉しその副元首として台頭する。


その後の反乱で西方元首を獲得更にコンスタンティヌスはキリスト教徒などに援助を受け、リキニウス元首軍を破り東西分立の一時廃止と自らの王朝成立を推進した。


これはコンスタンティヌスが夢のお告げでキリスト教の十字架を書けば大戦に勝利できると言われたので、彼はその通りに実行し大勝利を収めたのである。

これ以降コンスタンティヌスの中ではキリスト教は特別なものとなったのは間違いないが、彼自身はまだローマ神話を信仰してたのはあまり知られていない。


どちらにせよ彼以降のローマ元首は神ハヤウェの意志の伝達者とキリスト教最大の擁護者という存在になったのである。


その後かれはローマ神話を並行しキリスト教の布教を公認した。

そしてキリスト教のシンボルを『十字架』した


晩年に彼自身の信仰はローマ神話の神を嫌うようになり唯一神信仰(YHVHへとシフトしていった


崩御間近にキリスト教徒に洗礼を受けコンスタンティヌス大帝となる

年譜

272年 - 誕生。当時、父コンスタンティウス・クロルスコンスタンティウス1世)はまだ士官であった。

292年 - 宮廷に送られ、ディオクレティアヌスや後に東の正帝となったガレリウス(在位:305年 - 311年)に従軍する。

306年 - ガレリウスの下から、西の正帝でブリタンニア滞在中の父クロルス(在位:305年 - 306年)のところへ向ったが、クロルスが死去。ガレリウスの部下セウェルスが西の正帝となり、コンスタンティヌスは副帝となった。

312年 - イタリア・北アフリカを制圧していた簒奪皇帝マクセンティウスをミルウィウス橋の戦いで破りローマへ入城、西方の正帝となる。

この戦いの前にコンスタンティヌスは光り輝く十字架(ギリシア語でキリストを意味する Χ と Ρ の組み文字であるラバルムという説もある)と「汝これにて勝て」という文字が空に現れるのを見たため、十字架を旗印として戦いに勝利し、これがきっかけでキリスト教を信仰するようになったと言われている。

313年 - ミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認。

324年 - 東方の正帝リキニウスを破り、全ローマ帝国の単独皇帝となる。

325年 - キリスト教徒間の教義論争を解決するために初の公会議である第1ニカイア公会議を開催、アリウス派を異端と決定し、皇帝がキリスト教の教義決定に介入する嚆矢となった。

330年 - ローマからバルカン半島のビュザンティオンに遷都し、「ノウァ・ローマ(新ローマ)」と改称。

337年 - 小アジアのニコメディアで洗礼を受け、その直後に死去。

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