幌筵島
ぱらむしるとうまたはほろむしろとう
千島列島(クリル諸島)の北部の島。北千島では最も大きな島である。
概要
幌筵島(ぱらむしるとう / ほろむしろとう)は、千島列島(クリル諸島)の北部にある島を指す。面積は2053km²であり、千島列島の島々では択捉島についで2番目に大きい。大阪府より少し大きい程度である。
島名は、アイヌ語の「パラモシル(広い島)」もしくは「ポロモシル(大きい島)」に由来する。千島アイヌは「ウレシパモシリ(人を多く育てた島)」とも呼んでいたらしい。
幌筵海峡を挟んで占守島と相対する。南西には志林規島、南には温禰古丹島が在る。平地は少なく、1,500m級の山々が連なっている。その多くは火山で、北部の千島硫黄山と南部の千倉岳は度々噴火を起こしている。
アクセス条件が悪く定住者もおらず、現段階では主だった事業も展開されていないために自然環境や生態系が比較的良好に残されており、絶滅寸前とも言われるセミクジラが度々目撃されている。
歴史
かつては千島アイヌが居住していた。
18世紀になるとロシアの進出が始まり、北千島はロシアの勢力下に入った。その後、明治8(1875)年に樺太・千島交換条約が締結され、得撫島から占守島までの18島が日本領になり、幌筵島もこの時に日本領になった。行政上は北海道(千島国)根室支庁占守郡に属していた。
戦前は北洋漁業の拠点として発展し、柏原・加熊別・摺鉢などには集落が形成され、大規模な缶詰工場も在った。夏季には1万人近くが本土から出稼ぎに来ていた。
太平洋戦争(大東亜戦争)中には、キスカ島撤退作戦で同島から撤退した部隊が帰投し、幌筵島に駐屯していた北千島守備隊に合流した。
主な山岳
- 一文字嶺(いちもんじみね、1,038m)
- 千島硫黄岳(ちしまいおうだけ、1,156m)
- 袴腰山(はかまごしやま、1,152m)
- 屏風岳(びょうぶだけ、1,161m)
- 大正山(たいしょうやま、1,185m)
- 速毛岳(はやけだけ、827m)
- 高平岳(たかひらだけ、893m)
- 千倉岳(ちくらだけ、1,815m)
- 冠岳(かんむりだけ、1,652m)
- 釈迦ヶ岳(しゃかがだけ、1,386m)
- 焼岳(やけだけ、1,222m)
- 白煙山(しろけむりやま、1,390m)
- 雲霧山(くもきりやま、1,314m)
- 後鏃岳(しりやじりだけ、1,772m)