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岡田彰布の編集履歴

2023-08-16 13:34:05 バージョン

岡田彰布

おかだあきのぶ

大阪府出身の元プロ野球選手。現・阪神タイガース 一軍監督。

経歴

1957年11月25日生まれ、大阪府大阪市出身。


幼少期から阪神タイガースのファンであり、早稲田大学時代の1978年には秋季リーグで戦後4人目となる三冠王に輝いた。1979年オフのドラフト会議にて6球団が1位指名し、抽選の結果あごがれていた阪神へ入団。

阪神では長距離砲の二塁手として活躍、1985年の日本シリーズ制覇の立役者の1人となった。1989年12月からの3年間は日本プロ野球選手会会長の立場となり、FA制度導入に成功。

1993年オフに阪神を自由契約になるとオリックス・ブルーウェーブへ移籍し、2シーズンに渡ってプレー。現役最終年の1995年にリーグ優勝を再び経験した。


引退後はオリックスに残ってコーチを歴任、1998年からは古巣阪神に戻って二軍監督・コーチを歴任したのち2004年〜08年・23年〜には阪神タイガースの一軍監督を2度、2010〜12年にはオリックス・バファローズの一軍監督を1度、それぞれチームの指揮を執った。


人物

  • アホの坂田こと坂田利夫と共演したおでんのつゆ「どんでん」のCMから、「どんでん」の愛称で親しまれている。
  • 阪神の優勝パレードには監督で1回(2005年)、現役時代に1回(前述の1985年)、そして幼少時代に1回参加している。
    • 実家は阪神の往年の名選手・三宅秀史の有力なタニマチであり、幼少期に優勝パレードに参加したのもこの縁があったため。生まれついてのトラキチがドラフトのくじの末やってきたということもあり、入団時は相当な注目を受けた。また、母親が大学卒業後は大阪に帰ってきてほしいと望んだことから「在阪ならどこでも良い」と語っていた。
  • 代名詞とも言える「そらそうよ」始め、主語を抜かして話すことが多い為に「どん語」と呼ばれている。
    • 第1次阪神監督時代は特に難解だったようで、「翻訳」が必要なことも多く、現場では赤星憲広などがその役目を果たしていたという。赤星が「通訳」を始めたきっかけは、選手会長時代に岡田と会話を交わすうちに「(岡田)監督はすごいこと(※とても高度な野球理論のことか)を考えている。これをチームみんなが理解すれば(もっと)勝てるようになる」と思い至ったからだそうな。(そんな赤星でも監督の指示が理解できずに度々怒られた経験があるらしい)
  • 阪神、オリックスと関西の2球団を渡り歩いたことでも知られているが、(当時阪神が少年野球を運営していなかったため)南海ホークスが運営していた少年野球チームでのプレー経験もある。
  • 読売ジャイアンツで選手・コーチ・監督をしていた原辰徳とは、大学日本代表のチームメイトの間柄。

監督として

とにかく堅実性を重視することが多く、著書では「こと野球に関してはマイナスから考えるのだ。常に最悪の事態を想定してゲームを進める。これが自分の監督論といえる」と語っているほど。

第一次阪神監督時代と同時期に中日を率いていた落合博満自身の動画にて岡田の采配を「手堅かった。走るとこは走る送るとこは送る仕掛けるとこは仕掛ける」と評している。

また天性と言っていい鋭い勝負勘の持ち主で、ここぞという場面を逃さず的確な采配を打つことに定評がある。

ただし、基本的にサインを出さず、選手に任せるというスタンスをとっていたことから、「監督の仕事を放棄しているのでは?」という批判もあった。

第1次阪神監督時代に起用した三人のリリーフ、「ジェフ・ウィリアムス藤川球児久保田智之」のいわゆる「JFK」は後の球界に大きな影響を与えたことでも知られている。


2010年のオリックス監督時代、セ・パ交流戦優勝も狙えるポジションにいた際、「優勝」という言葉を避け「アレ」と言い換えていた。これは「あくまで平常心で戦うため」という狙いがあったようで、結果的に交流戦優勝を果たすこととなった。2023年からの第2次阪神監督の際も再び「アレ」を使用。チームスローガンとしてARE(Aim Respect Empower!)も採用されている。




「復刻ユニ」の発案者

阪神監督時代、2005年に開始した交流戦にて「交流戦では普段見られないものを見せるべきだ」ということから1978年から81年に使用されたデザインを基にした「復刻ユニ」で試合に臨むことを提案。

日曜祝日・夏季限定で着用する所謂「サードユニフォーム」の使用は他球団でも前例があったが、かつてのデザインを復刻させるというのは初の試みだった。


後に他球団でも公式戦で復刻ユニを着用する試合が組まれる事が増え、2010年には「GREAT CENTRAL」というセリーグ6球団による合同プロジェクトも行われた。


関連項目

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