常磐大学を中退し、2002年のドラフトで、阪神タイガースから5位指名を受け、入団。背番号は「30」。
入団当初は先発投手、中継ぎを主にしていたが、2004年、ジェフ・ウィリアムス、安藤優也のアテネオリンピック代表招集での離脱やジェロッド・リガンの故障離脱もあり、クローザーに転向。特に2005年以降はジェフ・ウィリアムス、藤川球児共にJFKの一角として活躍。
2006年、ベビーカーから落ちそうになった娘をかばい、右手甲を地面に強く打ち付け骨折。ケガの治療のために長期離脱を余儀なくされた。
その後は、藤川が抑えに転向したこともあり、久保田はセットアッパーとして活躍。
特に2007年は、90試合に登板しシーズン最多登板数のNPB記録を更新した。
2011年からは登板過多による勤続疲労などもあり2軍でプレーすることが多くなった。
2014年は怪我の為1軍登録なし。その年のオフに戦力外となり現役引退した。
引退後は阪神の球団職員やスカウトを経て、2021年より阪神の2軍投手コーチに就任した。
エピソード
- 右投げ右打ちだが、大学までは投手としては珍しいスイッチヒッターであった。だが死球による利き腕の肩の怪我を恐れて、プロ入り後は右打ちとなる。