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パレスチナの編集履歴

2023-08-30 18:55:54 バージョン

パレスチナ

ぱれすちな

中東の自治勢力あるいは国家。

正式名称はパレスチナ国。

ヨルダン川西岸地区とガザ地区を同地域の領土とする。

主張する首都は東エルサレムだが事実上の首都はラマッラー。最大都市はガザ


国連加盟国の過半数が国家承認しているが、G7をはじめとして承認していない国家も多く、特にヨーロッパでは殆どの国が承認していない。

2012年11月29日、国連総会にて「オブザーバー国家」と認められたが、国際連合に正式加盟できたわけではない。


歴史

歴史的パレスチナ

西アジアの東地中海海岸一帯を指す地域名。パレスチナは地中海の東岸一帯で、古くはレヴァントとも言われた、シリアの南部一帯をいう。かつてはユダヤ人(ヘブライ人)がイスラエル王国を造っていたが、前1世紀にローマ帝国領となりユダヤ人は離散し、その後、この地はイスラーム化してアラブ系住民が居住するようになった。現在はイスラエルの領土となったため、アラブ系のパレスチナ人は難民化し、パレスチナ問題が起こった。


紀元前

パレスチナ人の先祖の一部はペリシテ人と呼ばれる民族であった。

パレスチナ地域には前3000年頃にさかのぼる青銅器文化段階の都市遺跡が多数発掘されている。この地は古くはカナンといわれ、カナン人が交易に従事し、都市国家を形成していた。前1500年頃にはエジプト新王国のトトメス3世が進出し、メギドの戦いでパレスチナを破る。以後はエジプトの支配下に入った。

そのころ、小アジアからヒッタイトが進出し、この地は両勢力の抗争の地となった。紀元前12世紀頃に東地中海に海の民が進出し、ヒッタイトが滅び、エジプト新王国が後退したことによって情勢は一変し、海の民の一派であるペリシテ人がこの地に鉄器を伝え、活動するようになった。そうしてペリシテ人の名からパレスチナという地名が起こった。ペリシテ人はヘブライ人と対立しながら、現在のガザ地区のアラブ人となっていった。


ヘブライ王国

前1500年頃から西北メソポタミアの地で遊牧生活を送っていたセム語系のヘブライ人が、カナーンの地に移動し、さらにその一部はエジプト新王国のエジプトに移住して、奴隷の境遇に陥った。前13世紀の中ごろ、彼らは「出エジプト」を行い、パレスチナの地に戻っていくつかの部族に分かれて定住するようになった。長期にわたる移住によってカナン人と同化したと考えられ、またペリシテ人との抗争の過程で統一国家建設が進み、ヘブライ王国を建設し、紀元前1003年、ダビデ王の時代に周囲を平定し、都エルサレムを建設した。次のソロモン王の時に大いに繁栄したが、その死後ヘブライ王国は南北に分裂して衰え、北のイスラエル王国は前722年にアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は前587年に新バビロニアによって滅ぼされ、多くの住民がバビロンに連行されるバビロン捕囚の苦難を体験した。このころからヘブライ人はユダヤ人と言われるようになった。


民族離散

ユダヤ州がローマ帝国に対し反乱を起こし、結果鎮圧され、民族離散(ディアスポラ)が起きる。ユダヤ人は世界各地に散らばることとなる。


中世



近代


国際関係

日本との関係

日本の番組電波少年にて、


イスラエルとの関係


関連人物


関連作品

書籍

  • ハマスの息子

番組・ドキュメンタリー



関連タグ

オリエント イスラエル 第一次世界大戦 中東戦争 アブラハムの宗教


参考サイト

  • 世界史の窓
  • ウィキペディア
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