カール・ハインツ・ルンメニゲ
かーるはいんつるんめにげ
カール・ハインツ・ルンメニゲ(Karl-Heinz Rummenigge 1955年9月25日~)とはドイツ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。主にバイエルン・ミュンヘンでプレーした。キャプテン翼におけるカール・ハインツ・シュナイダーのモデルとしても知られる。
クラブ経歴
8歳の頃、地元クラブのボルシア・リップシュタットでサッカーを始めた。子供の頃のアイドルは当時インテルに在籍したサンドロ・マッツォーラだった。その後、10代の頃にはドイツ国内で名の知られた選手になる。
1974年、19歳でブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンに入団。ポカールのVfBシュトゥットガルト戦で公式戦でのプロ初ゴールを決めた。チームもこの年チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を初優勝。翌シーズンからレギュラーを掴み、チームのチャンピオンズカップ連覇、インターコンチネンタルカップ(現在のクラブワールドカップ)優勝に貢献した。
その後10年間、バイエルンで2度のリーグ優勝、3度のリーグ得点王、2度の欧州年間最優秀選手とタイトルを席捲。
1984年、憧れのマッツォーラと同じセリエAのインテルに移籍。しかしバイエルン時代ほど得点できずアキレス腱の痛みに悩まされたこともあり3年でチームを去った。
代表経歴
西ドイツ代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。1977年10月8日のイタリア戦で代表初ゴールを挙げた。
1980年の欧州選手権(現在のユーロ)では優勝に貢献。しかし、3度出場したワールドカップでは2度決勝に進んだものの優勝に手が届くことはなかった。しかし、怪我を押しての出場もあった中3大会で計19試合に出場して9ゴールを挙げたことは流石ミスターヨーロッパである。
その後
解説者を経て1991年から古巣バイエルンの副会長に就任。2002年からは、フランツ・ベッケンバウアーの後任として最高経営責任者(CEO)を2021年まで務めた。
スピードとフィジカルを活かし、こぼれ球への反応やヘディングも強くドリブル突破も得意と1980年代を代表するCFとして得点を量産した。しかし怪我も多く、前述したようにワールドカップは満身創痍で出場、33歳で引退と怪我が悔やまれる選手の一人でもある。
・弟のミヒャエル・ルンメニゲはJリーグの浦和でプレーした経験がある。
・日本での知名度は低めだが、ウイイレではスピード、フィジカルコンタクト、高さを兼ねそろえた最強選手の一人だった。ウイイレがefootballに切り替わった現在でも強力なフォワードの一人。そのためか、YouTubeの彼のプレー集にはウイイレやイーフトに関するコメントが多数ある。