承和の変
じょうわのへん
承和の変とは平安時代初期に起きた事件。
内容
天長10年(833年)に淳和天皇が嵯峨上皇の皇子正良親王に譲位し仁明天皇として即位し皇太子は恒貞親王となる。しかし皇太后橘嘉智子から信任を受けた藤原良房は天皇と妹順子が産んだ道康親王を擁立を望んでいたため恒貞親王は皇太子辞退を求めるが結果は通らなかった。承和7年(840年)に淳和上皇が崩御、承和9年(842年)に嵯峨上皇の崩御前に恒貞親王の側近橘逸勢と伴健岑は親王を東国へ逃す計画を立てていたが阿保親王(平城天皇の皇子)が嘉智子に伝えて最終的に良房に伝わった、同年に嵯峨上皇が崩御。崩御から2日後に良房は兵を率いて逸勢と健岑を捕らえさらに藤原良相が親王の側近の藤原愛発と藤原吉野を捕らえた。事件の結果、逸勢は伊豆国へ健岑は隠岐国へ流刑となり愛発や吉野ら皇太子の側近は皆処罰され恒貞親王は廃太子となった。結果的に皇太子は道康親王(文徳天皇)となり良房は大納言に就任した。