※この記事は進撃の巨人本編のネタバレ要素を多分に含みます。
「・・・私に、マフラーを巻いてくれてありがとう。」
「そんなもん、何度でも巻いてやる。これからもずっと、オレが何度でも」
概要
『進撃の巨人』の主人公エレン・イェーガーと、その幼馴染ミカサ・アッカーマンのカップリングタグ。本編中で恋人関係にあったわけでないが、明確に好意を寄せ合っていた事が判明したため事実上の公式カップリングと捉える人も多い。
主人公×ヒロインという王道の組み合わせでもある。
男女CPにおいてCP名は男×女が基本的表記だが、この2人の場合ミカサがあまりにもエレン廃+戦闘能力が高いことや、物語序盤ではエレンが攫われたり守られたりする展開が多かったため、「ミカエレ」タグを用いた作品も多く投稿されている。
尤も、本編の展開では次第にこの力関係が崩れていくため、次第にこのエレミカタグを使用する投稿者が増加している。
ミカエレタグとは逆にエレンがミカサに対して優位(攻め)だったり、ミカサを不器用なりに女の子扱いしていたりするなど、エレンがちゃんと「男の子」している作品にはこのタグが付けられる。
二人の軌跡(ネタバレ)
話数は原作のもの
50話「叫び」
エレン奪還戦にてミカサが負傷し、エレンも巨人化できない状況で巨人に囲まれてしまう。
最早これまでと思った局面で涙ながらに交わされた「私にマフラーを巻いてくれてありがとう」「そんなもん何度でも巻いてやる、これからもずっとオレが何度でも」のやりとりは、進撃屈指の名言となった。
また巨人展にて作者から寄せられたコメントによると「マフラーを巻いてくれてありがとう」のミカサはエレン視点のためこだわって描いたとの事。至近距離であることを表すため、少し寄り目にしすぎてしまったとも。エレンから見てあの至上の笑顔だったのなら、恋に落ちるのも無理はない。
また、ネームの解説には『今にも口づけしそうな2人』とあり、まさかの伏線である。
123話「島の悪魔」
123話「島の悪魔」でハンジ、リヴァイ、104期はマーレ大陸へ調査に向かう。その中で現地の空気や未来の記憶に触れたエレンは、夜更けに人知れず涙を流していた。
それを追いかけてきたミカサに、エレンは悲しい目で唐突に訊ねる。
「どうしてお前はオレを気にかけてくれるんだ?」
「子供の頃オレに助けられたからか?それとも家族だからか?」
「オレは……お前の何だ?」
何年も一緒にいて初めて受けるエレンらしくない問いに動揺し、瞬く間に真っ赤になるミカサ。しかし即座に本心を吐露する事はさすがに出来ず「あなたは…家族…」と苦し紛れに答えるのが精いっぱいだった。
エレンがどんな答えを期待していたかはわからないが、後に大陸の地ならしが始まった時、ミカサは「もしあの時私が別の答えを選んでいたら結果は違っていたんじゃないかって…」と、素直になれなかった自分を悔いていた。
138話「長い夢」
138話「長い夢」で、ミカサは「あの時、別の答えを選んでいた」もしもを再現した「道」(時間や空間の概念がなく、世界旅行すら簡単に叶う世界)にエレンより招かれ、山小屋で4年間、2人きりの生活を送る。それはパラディ島が滅亡することを承知の上での選択であり、仲間を裏切り、自分たち以外の全てを捨てて手に入れた時間だった。誰にも邪魔されない、静かで長閑な時間の中で、二人はようやく互いの気持ちを確かめあい、抱き合った。
「オレが死んだらこのマフラーを捨ててくれ」
「オレの事は忘れて自由になってくれ」
優しい態度とは裏腹に、残酷な願いを口にするエレン。しかし現実の世界に戻ったミカサは、マフラーを巻き直し「ごめん、できない」とその願いを拒否し、他の誰でもなく自分の手でエレンの歩みに幕を下ろすと決意。彼を討つ。
そして生きている内に打ち明けられなかった積年の恋心をのせて、エレンにそっと口付けた。
それを離れた所で見守るユミル・フリッツは、何かに満足したかのように微笑んでいた。
最終話「あの丘の木に向かって」
フリッツ王への愛ゆえに苦しんでいた始祖ユミルを解放したのが、ミカサのとった行動である事がエレンから明かされる。
「道」の世界で語り合うエレンとアルミン。ユミルの真意はエレンも測りかねていたようだったが、ユミルがフリッツ王を愛していたこと、そしてその愛にユミルが縛られていたことを明かし「ミカサの選択がもたらす結果、それに行き着く為だけにオレは進み続けた」と語った。
氷の大地や炎の水を見て回りながら、アルミンはミカサのことを本当はどう思っているのかとエレンに問いただすが、エレンは煮え切らない態度で答えをはぐらかそうとする。腹に据えかねたアルミンはエレンの顔面に一発叩き込むと、ミカサの気持ちを踏みにじった行為を非難し、彼の本音を引き出すため「案外いい人を見つけてアッサリしてる気もするなあ」と挑発する。
すると水面に尻餅をついたまま、泣きそうな顔でエレンは叫んだのだ。
「そんなの嫌だ!ミカサに男が出来るなんて!一生オレだけを想ってて欲しい!オレが死んだ後もしばらく…10年以上は引きずっててほしい!!」
「幸せになって欲しいんだ…本当に…でも……ああやっぱクソ…………」
そんな素振りは、今まで殆ど見せてこなかったエレン(なお、読み返してみると実はエレミカなシーンが多数存在していたりする)が、煽ったアルミンですらドン引きする拗らせっぷりを暴露。
ミカサのヤンデレには慣れていた読者も、思いがけないエレンの本音に度肝をブチ抜かれた。ミカサの前では散々カッコつけておいて、実態は彼女以上に情けなく重たい恋心で雁字搦めになっていたのである。
続けて「ミカサと皆と一緒にいたい」と本心を打ち明けつつも、自分の罪の重さを自覚しているエレンは、死を受け入れ全てをアルミンに託した。
その後、エレンの首はミカサによって故郷パラディ島に戻り、幼少期にミカサやアルミンと遊んでいた丘の上、よく居眠りをしていた木の下に埋葬された。
激戦から3年経ってもエレンを想い続け「またあなたに会いたい」と墓の傍で涙を流すミカサ。すると一羽の鳥が舞い降り、ずり落ちたマフラーを直して飛び去っていった。
「これからずっとオレが何度でも」というあの時の言葉のように。その鳥にエレンの影をみたミカサは、空を見上げながら微笑む。
「エレン、マフラーを巻いてくれてありがとう」
単行本の加筆部分にはミカサと思われるマフラーを巻いた女性が男性(後ろ姿のみだが彼に見えるという声も)や子供と共にエレンの墓を訪れるコマがある(後述)。一方でその後にはマフラーを巻いた女性が棺に入れられているコマもあり、ミカサが最期までエレンを思っていたのは間違いないだろう。
関連イラスト
余談
- 最終話やそれ以前から、比翼連理(比翼の鳥)を意識したと考えられる場面が見られている。
- 作中には度々トウゾクカモメが登場し、カモメから見たような視点で描かれる場面が多く存在する。最終話でミカサのマフラーを巻きなおしたのもこのカモメだが、トウゾクカモメは英語で「ジャパニーズ・イェーガー」と呼ばれる。
- 浜辺で仲間と行動するとある鳥は生涯純愛を貫くとされる。
- ちなみに、鳥は「虫」を食べ空を飛んだり海を越えられるため地ならし以降も生存する可能性がある生き物の例である。大量の海水の蒸発や陸上の生態系の壊滅により、気候変動や海流や海洋生態系なども被害を受ける可能性があり、営巣地も破壊された可能性があるため、どれだけ生き残れるかは不明だが。
- 原作第112話「無知」においてエレンはミカサを自分から離すために「オレは...ガキの頃からずっと ミカサ お前がずっと嫌いだった」(アニメでは「大嫌いだった」)とミカサに対して発言し、ミカサとこのカップリングのファンが絶望する事態が起きているが、112話が掲載された別マガ2019年1月号の表紙では2人とアルミンは普通に微笑み合い、112話が収録された単行本28巻の嘘予告の降霊ごっこでは「エレンの好きなものは?」という問いに対して「MIKA...」という返答があり、このシーンが描かれたアニメファイナルシーズン第14話「暴悪」放送の翌日に原作第138話が収録された別マガが発売されるという、本誌、単行本、アニメのそれぞれで示し合わせたかのようにこの発言を打ち消すような演出がされているという解釈が出来なくもない。もちろん、表紙と本編の内容に直接な関係は無いし、降霊ごっこの返答もあくまで死んだ他人である マルコによるもので、雑誌の発売日も偶然と言われればそれまでであるため、確定ではない。この発言が嘘だったことが判明した今となってはどちらであっても問題はないのだが...
- 139話加筆について、このシーンにはセリフが無く、読者によって「幸せ」の定義は大きく異なるため、解釈が分かれている。養子説や実子説が存在しているが、大切なのは沢山の人に囲まれながらその生涯を終えたということでは無いだろうか。
ここは"エレミカ"の紹介ページであるため、ミカサが最後までエレンだけを愛し続けていたと考えられる根拠、ないし養子説の根拠を下記に示す。
- ミカサがエレンに手向けている花(恐らくは薔薇)の花言葉には注目するべきである。(4本の薔薇:死ぬまで私の愛は変わりません、1本の薔薇:私にはあなたしかいません)▶これに付随して、過去のエレミカ会話時(アニメ1話、アニメ25話、アニメ37話)に登場する花の花言葉にも注目したい(ハナニラ:悲しい別れ,耐える愛、竜胆:あなたの悲しみに寄り添う、桔梗:永遠の愛,変わらぬ愛)
- エレンの墓に刻まれた文字を下記に示す。
「サイアイノ アナタ ココデトワニ イネムリニツク」
- ミカサは最後まで包帯をし、刺青を隠している。実子であれば刺青は受け継ぐことになっており、そうであれば包帯をしてまで隠す理由はないため、養子説の根拠となる。
- マフラーの意味について今一度考えたい。ミカサが1度マフラーを外し、再度巻き直した意味とは何だろうか。それは"依存"から"自立"への変化と考えるのが最もシンプルで分かりやすい。ミカサがマフラーを外した理由は「エレンからの暴言」と「ルイーゼから向けられる信仰心」によって、自分の気持ちはただの"依存"なのではないかという迷いが生まれたからである。しかし、山小屋を通じてエレンの真意を知り、「エレンの暴言」が嘘であること理解し、自分の気持ちは"依存"なんかではなく、紛れもない自分自身の物であると確信したミカサは"1人の自立した女性"として"エレンへの愛の具現化"であるマフラーを再度巻くことを"選択"する。つまり、山小屋後のミカサはマフラーを"外せない"のではなく、"外さない"のである。様々な選択肢を取ることのできる自立したミカサがマフラーを巻き続けていたというのは、エレンだけを愛する事を"選び続けていた"と表現することが出来るのではないだろうか。
- ミカサはエレンの「オレのことは忘れて自由になってくれ」という思いを「ごめん、できない」という形でキッパリと断っている。ミカサが"次に進む"というストーリーにするならばこの要求を受け入れるべきであるため、ミカサがエレンを愛し続けた根拠となる。
- 「いってらっしゃい」という言葉は"帰ってくること"を前提とした、もしくはそれを望む挨拶であるため、「いってらっしゃい、エレン」というセリフによってミカサはエレンの帰りを待つことを決意したのだと考えられる。(互いが互いの"帰る場所"となった)▶「Under the tree」「memory lane」において、帰りを待っている様子が確認できる。
- ストーリーの一貫性、ミカサというキャラクターの"一途さ"からしても、エレン以外を愛するとは考えられない(作中においてエレンにしか興味を示しておらず、加筆においてもエレンのことしか見ていないため)