概要
継体天皇と皇后手白香皇女の第四皇子、名は天国排開広庭尊(あめくにおしはらきひろにわのみこと)。皇后は石姫皇女(宣化天皇の皇女)。
実績
宣化天皇4年(539年)に宣化天皇崩御に伴い即位、在位中に新羅が任那を攻めたことで任那は滅亡した。天皇は任那再興のため兵を送るが敗北した。
欽明天皇13年(552年)に百済の聖明王が日本に仏教を伝え朝廷に仏像・経典などを献上した。
この件によって崇仏派の大臣蘇我稲目と廃仏派の大連物部尾輿の論争に繋がった。
欽明天皇32年(571年)に崩御、皇位は皇子の渟中倉太珠敷尊(敏達天皇)が継承した。
血縁
母の手白香皇女は仁賢天皇の皇女で仁徳天皇の5代孫であり天皇は女系として仁徳・履中・允恭・雄略・仁賢天皇の5人の天皇の子孫にあたる。
妃は蘇我稲目の娘、堅塩媛と小姉君であり堅塩媛は用明・推古天皇の生母、小姉君は崇峻天皇の生母である。
皇統
・箭田珠勝大兄皇子(やたのたまかつのおおえのみこ)
・渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと、第30代・敏達天皇)
・笠縫皇女(かさぬいのひめみこ)
- 妃:倉稚綾姫皇女(くらのわかやひめのひめみこ、宣化天皇の皇女)
・石上皇子(いそのかみのみこ)
- 妃:日影皇女(ひかげのひめみこ、宣化天皇の皇女)
・倉皇子(くらのみこ)
・池辺皇子(いけべのみこ、第31代・用明天皇)
・磐隈皇女(いわくまのひめみこ)
・臘嘴鳥皇子(あとりのみこ)
・額田部皇女(ぬかたべのひめみこ、第33代・推古天皇)敏達天皇皇后
・椀子皇子(まろこのみこ)
・大宅皇女(おおやけのひめみこ)
・石上部皇子(いそのかみべのみこ)
・山背皇子(やましろのみこ)
・大伴皇女(おおとものひめみこ)
・桜井皇子(さくらいのみこ)
・肩野皇女(かたののひめみこ)
・橘本稚皇子(たちばなのもとのわかみこ)
・舎人皇女(とねりのひめみこ)当麻皇子妃
- 妃:小姉君(おあねのきみ、蘇我稲目の娘)
・茨城皇子(うまらきのみこ、馬木王)
・葛城皇子(かずらきのみこ)
・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)用明天皇皇后後に田目皇子妃
・穴穂部皇子(あなほべのみこ)
・泊瀬部皇子(はつせべのみこ、第32代・崇峻天皇)
- 妃:糠子(ぬかこ、春日日抓臣の娘)
・春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)
・橘麻呂皇子(たちばなのまろのみこ)