概要
スプリント・レースを得意とし、主な勝ち鞍はリッチモンドステークス(1950年)、フェルティヴァルステークス(1952年)、ユニオンステークス(1952年)など。
気性難が災いして競走馬としては大成できなかったが、種牡馬として成功した。
半兄にダービーステークス(1949年)を勝ったニンバスがいる。
プロフィール
略歴
1948年
ウィリアム・ヒル所有の牧場で誕生。
父のナスルーラは大種牡馬。母のコングは現役時代は19戦4勝でアスコットウォーキンガムステークスを勝っている。母父のベイタウンはアイリッシュ2000ギニー、アイリッシュダービーなどを勝っている。
父のナスルーラに似て激しい気性の持ち主だった。
1949年
セリに出され、J・K・メージャーズが落札。ニンバスを管理していたジョージ・コーリング調教師もセリに参加していたが、セリの会場で大暴れしているのを見て購入を断念した。
ジョージ・ビービィ調教師の厩舎に預けられる。グレイソヴリンは葦毛の快速馬ザテトラークを髣髴とさせるスピードの持ち主だったが、気性の悪さは改善しなかった。
1950年
- コヴェントリーステークスでビッグディッパーの2着に敗れた。
- ナショナルブリーダーズプロデュースステークスでベルオブオールの3着に敗れた。
- リッチモンドステークスで1着。
1951年
- チャレンジステークスでハードソースの2着に敗れた。
1952年
- フェルティヴァルステークスで1着。
- ナンソープステークスでロイヤルセレナーデの2着に敗れた。
- ユニオンステークスで1着。
4歳限りで現役引退。
1953年
ニンバスの弟・ナスルーラの子なのが評価され、ニューマーケットのデリスレイウッドスタッドで種牡馬になった。種付けが好きでなかったため産駒の数が少なかったが、兄をはるかに上回る種牡馬成績を挙げる。
1972年
種牡馬を引退。
1976年
死亡(28歳)。
主な産駒
フォルティノ(アベイドロンシャン賞など)
グスタフ(ミドルパークステークスなど)
ソヴリンロード(リッチモンドステークスなど)
マタティナ(キングジョージステークスなど)
ラフィンゴーラ(キングジョージステークスなど)
ドン(プール・デッセ・デ・プーランなど)
- ドン、フォルティノ、ゼダーンは日本に種牡馬として輸入された。
- ゼダーンの子孫にトニービンがいる。日本に輸入され種牡馬として成功した。