概要
米加関係(べいかかんけい、英語:Canada–United States relations、フランス語:Relations entre le Canada et les États-Unis)は、アメリカ合衆国とカナダの国際関係の事である。両国は旧イギリス植民地としての遺産を共有し、1776年7月にアメリカが建国された初期には紛争があったものの、現代では最も成功した国際関係の1つまで発展した。カナダはアメリカの好む外国のままであり、アメリカはカナダの国際的な役割を評価している。
両国の比較
国名 | 政体 | 現在の首脳 | 国土 | 人口 |
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アメリカ合衆国 | 大統領制 連邦共和国 | ジョー・バイデン | 962万9091平方キロメートル | 3億3328万7557人(2022年7月) |
カナダ | 議院内閣制 連邦立憲君主国 | ジャスティン・トルドー | 998万4670平方キロメートル | 3956万6248人(2023年1月) |
歴史
初期
1927年2月に外交関係を樹立し、同年6月にウィリアム・フィリップスが最初の駐カナダ大使となった。1629年7月にイギリスはケベックを占領し、1632年3月にサン=ジェルマン=アン=レー条約が締結されてフランスに返還した。1760年9月にイギリスがフランス領カナダを征服する前に、イギリスとフランスの間で一連の戦争があった。1763年2月にカナダ全土のフランスの植民地は全てイギリスに割譲され、これによってイギリス領カナダが成立した。
自治領
1867年7月にカナダは自治領となり、外交と防衛はイギリスが管轄するようになった。これ以前の1846年6月にオレゴン条約が締結され、北半分はブリティッシュコロンビア州・南半分はワシントン州とオレゴン州になった。1866年4月にフェニアン襲撃という武装侵略が発生し、1871年10月にカナダの勝利に終わった。これはアイルランド系アメリカ人で南北戦争を退役した兵士の一団が、アイルランドの独立の為にカナダを交換条件にする意図で国境を越えたものだった。
2度の大戦・その後
1914年7月に第1次世界大戦が発生し、アメリカは厳格な中立政策を取った。1917年4月にアメリカがドイツに宣戦布告した時、ある歴史家が報告しているように、迅速な協力と友好的な調整が行われた。カナダは1919年1月に開始されたベルサイユ和平交渉にイギリス帝国の下で条約に署名するという条件付きで、ロンドンに代表団を送る事を要求して許可を得た。
1939年9月に第2次世界大戦が発生し、この戦争で両国は緊密に協力して新たなレベルの繁栄と枢軸国を打ち負かす決意を見た。1940年8月にフランクリン・ルーズベルトとウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングはオグデンズバーグで会合し、緊密な協力を求める宣言を発出して常設合同防衛委員会を設立した。大戦の最中にアメリカはニューファンドランドに大規模な軍事基地を建設し、アメリカの支出は不況を終わらせて新たな繁栄をもたらした。
冷戦
1945年9月に第2次世界大戦が終結し、イギリスの超大国としての影響力が減退するにつれて、両国は非常に密接なパートナーとなった。冷戦時代にカナダはアメリカと密接な同盟関係にあり、1949年4月に創設されたNATO(北大西洋条約機構)の原加盟国として、イギリス・フランス・ベネルクス3国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)などと名を連ねた。1971年8月にニクソン・ショックでアメリカが新たな経済政策を打ち出した時、カナダ政府は恐慌に陥った。
冷戦終結後
1989年12月に冷戦が終結した後、それ以降の両国の外交政策は密接に連携してきたが、最終的には独立している。例えばカナダはキューバとの友好関係を維持しており、ベトナム戦争とイラク戦争については参加を拒否した。1994年1月に発効されたNAFTA(北米自由貿易協定)は世界最大の貿易ブロックの1つを形成し、2020年7月に新たな協定が発効するまで存続した。
2023年2月にジャスティン・トルドー首相の命令によって、アメリカの戦闘機がカナダの上空で未確認の物体を撃墜した。この作戦は北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)によって調整され、トルドーは捜査官が瓦礫を探していると述べた。これはバイデンとトルドーの会話の後に実行され、記者会見でアニータ・アナンド国防相は「物体は円筒形であり、2月4日に撃墜された後にアメリカ沿岸で回収された物体よりも小さい。」と説明した。
ヘタリア
『ヘタリア』関連のタグの詳細については、おこめいぷる・北米兄弟を参照して欲しい。