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久我建通の編集履歴

2024-04-03 20:26:44 バージョン

久我建通

こがたけみち

久我建通とは江戸時代末期から明治時代の公卿。

概要

父は一条忠良、母は細川富子(細川斉茲の娘)、官位は正二位、内大臣


プロフィール

時代江戸時代末期ー明治時代
生誕文化12年2月1日(1815年3月11日
死没明治36年(1903年)9月26日
官位正二位、内大臣
主君仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族久我家
父母父:一条忠良、母:細川富子(細川斉茲の娘) 、養父:久我通明
兄弟実通忠香建通、秀子、知君、通子、盛君、良子、崇子
鷹司麗子(鷹司政通の娘)
通久通旭、範姫、通城、幸姫、定美通暉

経歴

文化12年(1815年)に誕生、文政5年(1822年)に従五位下、侍従となる、後に左少将、左中将に進み文政9年(1826年)に従三位となる、天保3年(1832年)に権中納言、嘉永元年(1848年)に権大納言に就任、安政元年(1854年)に議奏となるが安政の大獄で謹慎処分を受ける、後に復帰し文久2年(1862年)に内大臣となり和宮降嫁問題では公武合体に大きく動いたが四奸として出家して蟄居をした。王政復古後に加茂神社宮司となる。明治36年(1903年)に死去。


外部リンク

久我建通 - Wikipedia


関連タグ

公家 久我家 一条家 江戸時代 明治時代

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