概要
現在は故宮博物院の敷地の一つに入る。
歴史
かつて元朝時代の皇帝フビライ・ハンが自身の寝所としてたてた宮城が母体である、フビライはかつて秦に存在した阿房宮を再現しようとしたとされる。
その後元帝国が滅び、明朝の時代に入ると漢民族スタイルに建物が変更され、その後500年、皇帝の宮城となる、そして300年続いた明も滅び女真族の清朝が中華を制覇すると大清皇帝の宮城となった。 康熙帝と乾隆帝の時代にほぼ今の形に改築され清朝280年の中心として活動をした。
その後清の体制が衰え、列強軍の攻撃で宮城の一部は焼失したり、その後1917年に清が事実上滅亡認定された後。中華民国・中華人民共和国の建国・建国後の動乱などで閉鎖されたりしたが。現在は博物院として一般公開されている。
最後の皇帝であった宣統帝は1924年までここに住んでいた。