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オクタビヤヌスの編集履歴

2012-09-23 18:23:45 バージョン

オクタビヤヌス

おくたびやぬす

ローマ皇帝アウグストス帝の本名 友人はマルクス・アグリッパ カエサルの養子 ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス 略称:オクター(OCTAV) 異名:ローマの世紀末覇者(皇帝)

GAIVS OCTAVIVS THVRINVS

OCTAV


逸話1

  1. オクタヴィヤヌスは『色白金発がはいった美少年』ということで子供時代から有名だった。
  2. ローマ人から見ると虚弱体質であり風邪はしょっちゅう引いていたようだ、ほか膀胱炎や横隔膜肥大症などもあったそうだ。 あと肌が弱く強い日差しの中では日よけを絶対必要とした。
  3. 伝説によると彼の上半身には『七つの北斗七星の様な痣』があったという(マジよ・・。)ケンシロウかよ (゜Д゜;;;)ガクガク世紀末覇者
  4. オクタビヤヌスの運命を占った占い師によると世紀末覇者ではないが、最高神ユピテルと等しい存在になるといわれたそうだ。
  5. カエサルはもてたが美男子ではない伝説がある。紳士に近い(あだ名禿
  6. オクターはどうやら『ローマ人が大好き』だとされる風呂にも長湯できないほど『虚弱』であったという。

年表


0歳 紀元前63年ローマ軍人階級に属するガイウス・オクタウィウスとアティア(カエサルの姪)との間に生まれる。

出生の時の名はガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(Gaius Octavius Thurinus)姉には小オクタウィア。幼少の頃はウェレトラエ(現ヴェッレトリ)の祖父のもとで過ごす。


11歳 父と死別 オクター母方の『カエサル家』に引き取られる。

紀元前58年、父と死別。その後、母アティアはルキウス・マルキウス・ピリップスと結婚

この時トゥリヌスは新夫妻の元へ引き取られ、継父は実の息子とともにトゥリヌスを可愛がったという。


16歳 裸でオリンピック出場 『余は本当は戦場に行きたかった・。 byオクター』

センシティブな作品

オクター16歳、当時ローマ人の『成人』は15歳である


紀元前47年に神祇官 (Pontiff) に任命される。(当時15歳)

紀元前46年に大叔父カエサルの建造したウェヌス神殿を記念して

ギリシアの古代オリンピックに参加させられる。(強制的に)(当時16歳)

本来は大叔父のアフリカ遠征に付き従いたかったのだが、母アティアの反対により断念となった


逸話2

  1. オクタウィアヌス自身はイケメンで有名なアポロ神が気に入っていたような『行動』をしたことがある。
  2. 後代のローマ元首ネロ古代ギリシャマニアでありギリシャ文化を模範にし少年愛を実践していたので、当然オリンピア祭にも出場したかったのだが断られたという、理由はネロはそこまで『美男』でなかったからだという伝説がある当時のネロはデブ夫であぅた。

18歳 オクターの微弱な活躍が養父カエサルの目にとまる。

オクタビヤヌスは18歳の時に、紀元前46年にカエサルのヒスパニア遠征に参加し、養父カエサルの軍団の部隊長の一人となるも、彼自身も出立直前に病に倒れる結果となり参加できなかった。病が治るとすぐに戦場に船で急行したが、中で船が難破しカエサルと敵対する勢力の真ん中に漂流してしまう。


しかし彼は自分の率いる兵士などと協力し、全員無事に生きて帰ってくることに成功した。この報告を聞いたカエサルはオクタビヤヌスの天分を悟り、カエサル自身の後継者にしたとされる。オクター自身は心中は語られていない


19歳 伯父カエサル斬殺の知らせを聞く

カエサル斬殺の知らせを、旅行先で聞いたオクターは急いでローマにもどった。そこでカエサル家と同僚元老議員からカエサルの欠員を埋める元老議員になってくれないかと言われた。

オクター自身は『何回か拒否したあと』結局カエサルの欠員を埋める元老議員になる。

その後、カエサル派の元老議員に担がれ『19歳』の若さで2名のローマ元首職であるコンスルに就任する。



関連

ローマ元首ローマ皇帝

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