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緒方洪庵の編集履歴

2024-06-05 16:59:55 バージョン

緒方洪庵

おがたこうあん

幕末の医師、蘭学者。日本の近代医学の祖といわれる。

概要

生没年:1810年8月13日~1863年7月25日

当代きっての蘭方の医者学者であって、教育者でもある。

大坂に適塾(大阪大学の前身)を開き、人材を育てた。

適塾はテストの成績により上級へと進み、成績優秀者から順に席が決まるという徹底した実力主義の塾である。


1838年(天保9)から1862年(文久2)の25年間大阪・船場にあって塾を開き若き人々の教育にも多大の精力を注いでいた。その力量を知る幕府は1862年(文久2)、江戸に召しだし奥医師とすると同時に西洋医学所の頭取としたのである。洪庵不在の時期も義弟や子息、門下生達は塾を守り、さらに分塾をするほどに発展したが、明治新政府の教育制度の整備と共に発展解消し、大阪医学校、府立医科大学、さらには大阪大学へと発展し、今日にいたっている(彼の亡き後は松本良順が後を継いだ)。


適塾は全国から駆けつけた塾生にあふれ、談論風発の気風はその後の明治維新の激動の中、日本の近代化に大きく貢献した多くの人材を輩出している。そんな塾生には福沢諭吉大鳥圭介橋本左内大村益次郎長与専斎佐野常民高松凌雲などがいる。

大阪大学HPより転載)


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