概要を書けばいいのに
中学歴史の資料集『学び考える歴史』に登場したロボットが放った問題発言のひとつ。
意図としては、江戸時代の隠れキリシタンたちが絵踏み(対象に十字架やキリスト像、マリア像などが描かれた板を踏ませ、キリスト教徒かどうかを見分けること)を踏めずに処刑されたエピソードに対する疑問。
確かに生き残ることだけを考えればその通りではあるのだが、比較的平和とはいえ江戸時代は現代よりも圧倒的に死が身近であり、また日々の暮らしも現代とは比較にならないくらい厳しかった時代である。そのような時代において、宗教は”生きる支え”であるとともに”死後のことまでも保証してくれる存在”(※本来の宗教はそういうもの)だったことは忘れてはいけない。
|゚-゚| 「仏教では駄目なの?」
補足すると、絵踏みで隠れキリシタン全員を摘発できたわけではなく、ロボットの言う通り「踏めば助かるのに」として処刑を免れた人も居た模様。
事実、信者の多かった長崎県では明治時代まで何度か摘発が行われたという記録があり、これは当時の信者たちが絵踏みを乗り越えていたことを示している。また、開国によって長崎に宣教師がやって来たことを知った信者たちがその宣教師のもとを訪れ、隠れ信者であることを告白したという逸話(1865年の「信徒発見」)もある。
|゚-゚| 「摘発のおそれがあるのに信仰を続けるの?」
プロテスタントなら助かったのに
絵踏みにそれなりの効果があったのは、日本に広まったキリスト教がカトリック派で、信仰にキリストや聖人の像・絵画を用いる伝統があったためである。より厳格な偶像崇拝禁止を掲げるプロテスタント派は聖書以外の現物を神聖視しないため、もしも隠れキリシタンたちがプロテスタントであれば普通に絵を踏んでいたことだろう。事実、出島のオランダ人やラナルド・マクドナルドのようなプロテスタントの漂流者は「馬鹿馬鹿しい」と絵を踏んだとされている。
|゚-゚| 「ならプロテスタントにすればいいのに」
…と言いたくなるが、当時のカトリックとプロテスタント各派はお互いを悪魔呼ばわりする事も辞さないほどの不倶戴天の仇敵であり、当然その情報はカトリック派である隠れキリシタンにも伝わっていたと思われるので、プロテスタント派のことを知っていたとしてもそう易々と改宗はできなかっただろう。
作家の隆慶一郎がエッセイ集「時代小説の愉しみ」の中で、奥様の母校であるミッション系の学園に取材に赴いた際に「取材相手の『慈愛の化身の如き老シスター』にプロテスタントの事について訊ねるべく話を振ったら一瞬にして般若の形相でプロテスタントを悪魔呼ばわりし出して驚いた(要約)」との逸話が残っているくらいである。
とは言え20世紀以降、キリスト教会はカトリックとプロテスタント、さらに正教会や国教会、カルヴァン派など、それぞれの宗派の差異にこだわらず、同じキリスト教の信者として一致させようとするエキュメニズム運動が巻き起こっており、現在はお互いの価値観を認め合う流れになりつつある。やはり隠れキリシタン達は生まれた時代が悪かったと言える。
映画になってるのに
『沈黙』という長崎の隠れキリシタン弾圧を題材にした映画があり、まさにこの「踏めば助かるのに」を体現した内容となっている。
主人公のポルトガル宣教師二人は、日本に行った自分たちの師が棄教したという噂を聞き、その真偽を確かめるべく来日するが、不運にも弾圧を指揮していた奉行に捕まってしまう。宣教師を処刑するとむしろ信者たちの結束を促すと知っていた奉行は、それを逆手に取って「棄教すれば信者を助ける」と主人公に迫るが...
余談だが、宣教師や信者が逮捕されるシーンでの日本の役人の台詞は、
「決してお主らが憎いわけではないぞ。こちらの考えにほんの少し歩み寄ってくれればよかろう」
という言葉だけなら寛大に聞こえるが、実際は立場や力が上の者の無自覚な傲慢さが滲み出ているものになっている。
当時も「踏めば助かるのに」と思った人々は居ただろうが(それも弾圧する側にさえ)、あくまでも、それは誰かを踏み躙る側や誰かが踏み躙られるのが他人事である人々の呑気なお気持ちに過ぎないのである。
|゚-゚| 「日本に来てまでして、確かめたかったの?」
関連タグ なのかな?
聖☆おにいさん:イエスが当時の隠れキリシタンに対する弾圧について言及するネタがあり、その時は「踏み絵を出されたら遠慮なく踏んで欲しい。足ふきマット扱いでも構わない」みたいなことを言っていた。
死ねば助かるのに:よく似た響きのセリフ…なのだが、絵踏みを拒否して殺された側からすると、文字通り「死ねば(死後の世界で)助かるのに」ということになる。
生き恥:踏んで助かった場合の末路のひとつ。