イケメン無罪
いけめんむざい
概要
イケメンだからこそ様になるイラストにつけられたタグ。
「ブサメンなら有罪な事がイケメンだったら無罪になるという意味か」というと、(現実世界では)そんな事は絶対にありえないし、あってはならない。
だが、もしこれが本当にまかり通ったらどうなのだろうか?
例えばイケメンが極刑モノの重罪を犯したとしよう。イケメン無罪が適用された日には被害者は絶対に浮かばれない。
むしろイケメンには裁判で裁かれる事が無いルールが適用された日には、イケメン無罪=イケメンならばなんでもやりたい放題・社会的制裁無しとなり行き着くのは社会秩序の崩壊である。
当然ながら、「法の下の平等」が憲法で決められている日本で「イケメン無罪」なんて馬鹿げた理屈が通用するはずがなく、イケメンであっても犯罪者になれば容赦なく豚箱送りである。
男女における、異性から触れられるシチュエーションに対する認識差により、イケメンだからと物語のように出会って突然身体に触れたり手の甲にキスしたりすると、女性側に逆に不快感や嫌悪感を味あわせてしまいやすい。
「初対面の美女→(異性愛の)男子」ならご褒美になることの殆どは「初対面のイケメン→(異性愛の)女子」には当てはまらない。
イケメンがポテンシャルを発揮するには、むしろ身体的接触や性的な詮索や下ネタ発言をみだりにしないことが必要である。
…とはいえ
顔の良し悪しで当人の有罪か無罪かを決めてしまうのは、無茶苦茶以外の何物でも無い。
だが実際の所、イケメンとブサメンでは、そもそも社会的信用のアドバンテージにあからさまな差があり、実際に罪を犯した時の警察からの追求の逃れやすさに関して言えば「イケメンの方が圧倒的に有利ではないか?」という意見もあり、実際に警察官が別に怪しい行動などしてもいないただ歩いている人間に対していきなり公衆面前で職務質問を行ったりするのも、実はブサメンの方が圧倒的に多いという実例がある。
この場合、罪に問われないという意味ではなく法の裁きの元に引っ張り出されないという意味で『無罪』と表現するのは(ある意味では)間違っていないと言えるが...
なお、ミもフタもない現実としては……いわゆる「イケメン」と見做されている男性の有名人が性犯罪容疑で告発された事など枚挙に暇が無い。
ハイブリストフィリア(犯罪性愛)
凶悪犯罪者の中にも、社会的制裁を受ける事があっても「イケメンである」のを理由に一般人から持てはやされてしまうケースも少なからずある。このように凶悪犯罪者をアイドルやアニメのキャラみたいに扱い、恋心を抱く感情を、ハイブリストフィリアと呼ぶ。
例えば、アメリカ合衆国でも有名なシリアルキラーであるテッド・バンディには、彼が法廷で死刑宣告される程の凶悪殺人鬼であったにも拘らず数多くの女性ファンがいた。
日本でも、2007年に英会話女教師であるリンゼイ・アン・ホーカーを殺害し長期間逃亡していた市橋達也に対して「市橋ガールズ」と呼ばれる女性ファンが現れる等、道徳的観念から見れば目を疑いたくなるような事態にまで陥っている。この事件をは映画化されたが、このことに関して「犯人を美化している」という声もある。
さらに2022年に起こった元日本総理大臣安倍晋三の射殺事件(安倍晋三銃撃事件)の実行犯にも上記のような女性ファンの団体が現れ始めている。
この様に凶悪犯罪者を悲劇のヒーローの様に賛美する行いは、被害者遺族に対する極めて屈辱的な侮蔑行為になるという声もある。
もちろん、日本では言論・表現の自由があり、それらは保障されるべきではある。しかし同時に日本では「公共の福祉」の概念も法律上存在し、もし、犯罪者を崇拝する行為がエスカレートして、被害者・被害者遺族などの事件関係者に不利益を及ぼすのであれば、規制されるのもやむを得ないともいえる。
現在、こういった倫理観を問われかねない問題は、日本はおろか世界各地において増している傾向がある。
酷い場合には……
- イケメン犯罪者の犯罪の手助けをする。(犯罪幇助の罪)
- イケメン犯罪者がした犯罪を模倣する。
- 「○○様(イケメン犯罪者)は私たちが守らなくてならない」という謎の使命感にかられ、イケメン犯罪者にとって都合の悪い人物(被害者及びその遺族・警察・検察など)を誹謗中傷・脅迫・暴行・殺人などの手段で排除しようとする。
といった風に、イケメン犯罪者を英雄視するあまり自身も犯罪に手を染めてしまうといった更なる問題に発展するケースもある。
倫理的な問題を抜きにしても、実在する凶悪犯罪者に恋することにメリットは存在しない。
- 実在する犯罪者に好意的な感情を抱いていることを公言すれば、周囲の人々から距離を置かれ、社会的に孤立する可能性がある。
- 応援の仕方によっては被害者遺族から名誉棄損・誹謗中傷の罪で訴えられる可能性がある。
- インターネット上で凶悪犯罪者を応援した場合、ネットユーザーの怒りを買って炎上してしまい、氏名や住所などの個人情報が特定されて嫌がらせをされてしまう可能性がある。
- 凶悪犯罪を起こす輩が自分以外の人間のことを考えているはずがなく、仮に結婚することになったとしても、その後暴力を振るわれたり、最悪殺害されるなど、ろくでもない末路を迎えることは想像に難くない。
女性の犯罪者の場合
「どれほど酷い犯罪をしても容姿が理由で大衆に擁護される」ことは女性の犯罪者でもあり得ることである。
2024年、世田谷区の保育園で働いていた女性の保育士・佐久間清来容疑者が子供に虐待をして逮捕される事件が発生したが、ここでも「顔がかわいい!」「かわいいからなにをしても良いじゃん!」などと言う者が何人も現れ、被害者の園児及びその親族を「清来ちゃんの敵」と認定し、ネット上で誹謗中傷する事態が発生した。
……いくら容姿が気に入ったからって、ここまで非人道的なことができるのだろうか……?
そもそもの話……
なにをもって人の顔を「美しい」「醜い」と判断するのであろうか? 美醜とはしょせんは人間が勝手に決めた基準に過ぎず、グラデーションがあり客観的な線引きが不可能な概念である。ある人が醜いと思った顔でも、別の人からすれば美しく感じることだって十分あり得るのだ。そのような曖昧模糊な概念で誰かの罪を不問にすることが許されるのだろうか?
創作上の話
少女漫画やティーンズラブ漫画を読んで見るとわかることだが、それらに出てくるイケメンヒーローの言動が昭和のセクハラ親父やエロ漫画に出てくる不細工名竿役(種付けおじさん)とほとんど変わらないにもかかわらず読者からの人気は高い、という事が珍しくない。
そういった場合もイケメン無罪と言われる事がある。