概要
日本の殺人犯。
2007年に発生したイギリス人女性への殺人事件、「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」の犯人。
略歴
父親が医師、母親が歯科医師という裕福な家庭に生まれた。
市橋自身も医師を目指し、大学受験では医学部を受験するも失敗を繰り返し、4浪して22歳で千葉大学園芸学部に入学。
2005年に卒業するも、定職には就かなかった。
その後は海外留学の準備という名目で、親の所有する市川市のマンションで仕送りを受けながら英語の勉強をして生活していたが、やはり失敗。
事件直前には、見かねた親から仕送りの中止を告げられている。
2007年3月20日に被害者と知り合い、英語の個人レッスンを受けるという合意をしている。
そして3月26日、市橋は凶行に及んだ。
逃亡
事件発生当日のうちに市橋に容疑がかけられ、警察がマンションの部屋に到着したが、それを察知した市橋は逃走。
その過程で、唇とホクロを自らの手で切り落とすという強引な整形手術を慣行している。
逃走資金は土木・建築関係の住み込みの仕事で調達。
しかし、懸賞金付の指名手配犯である市橋は常に周囲の目に怯えており、どこで仕事をしても長続きはしなかった。
逃走資金で沖縄県の離島に渡った際には、海を泳いで往来したり、自給自足のサバイバル生活をこなすなど、体力と逞しさは人並み以上であった。
途中、名古屋市の外科医院で偽名で整形手術を受けて顔を変えていたが、この医院が施術後しばらくして不審な点に気づき、警察に通報。
すぐに市橋と断定され、指名手配ポスターの顔写真が現在の顔に更新されてしまった。
更に、過去に働いていた建設会社からも通報があり、徐々に足取りが掴まれていった。
2009年11月10日、焦った市橋は再度沖縄に渡るべく神戸市のフェリーターミナルへ向かった。
しかし、当日は沖縄行のフェリーは欠航であったため、スタッフは大阪南港フェリーターミナルから沖縄行が就航していることを案内した。
市橋はすぐに大阪へと向かったが、怪しんだスタッフが大阪南港と警察に通報。
かくして、大阪南港に現れた市橋は警察に逮捕され、2年半以上に渡る逃亡生活は幕を下ろした。
現在
裁判では無期懲役の判決を受けた。
現在は長野刑務所に収監されている。
pixivにおける投稿
pixivでは加害者を好意的に捉え美形にアレンジしたイラストや、応援の意図を込めたイラスト等が投稿されている。
しかし凶悪事件は現実に起こった残酷な犯罪であり、日本社会に甚大な影響を及ぼしている。そして、被害者遺族や加害者の家族、事件の関係者が現在でも苦しめられている状態である。
「pixivは不特定多数の人物がアクセス・閲覧可能なサービスである以上、関係者が目にする可能性もあることから、削除するのが望ましい」という意見すら存在する。
一方で個人が作品を制作・発表することは憲法によって「表現の自由」として認められているものであり、それらをすべからく禁止することはできない。
pixivにおけるガイドラインでは、作品やコメント等の投稿情報に関して「反社会的行為を賛美し、これを過度に助長しているもの」が禁止事項の一つに挙げられているが、事件にまつわる内容を描いた作品(あるいは事件に着想を得たフィクションなど)がすべて「賛美し、過度に助長」する意図や目的を持って制作されたとは限らず、また最終的にそれを判断するのは制作者や閲覧した一ユーザーではなく運営者である。
しかしながら、表現の自由は「公共の福祉」の概念によって制御されるものであり、他者の人権を侵害するような表現は規制されるべきといえる。
思いのままに制作した作品が、閲覧した人、特に被害者とその遺族、加害者の家族、事件の関係者、そして加害者の名誉や人格を深く傷付けるようなものならば、発表することを避ける・取り下げることも必要である。
あくまで(一般ユーザーによって編集が行われる)本記事では、個人の投稿そのものを制限することはできないため「記事内にそのような作品を掲載しないように」という注意に留めるが、実際に起きた事件を取り扱う以上、仮に美化するような目的でなくても、制作や投稿においては慎重に取り扱うべきであるという点は明記させていただきたい。
作品の投稿やその取り扱いについてはこちらのガイドラインも参照のこと。
余談
- 大学生時代に暴行で逮捕されており、前科持ちであった。この時は親が示談金を払うことで解決した。
- 獄中で逃亡中の記録をまとめた本を執筆し、出版している。市橋は印税を遺族に支払う意思を表明していたが、遺族はこれを断っている。
- 2013年には、逃亡中の様子を描いた映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』が公開された。監督兼主演(市橋役)はディーン・フジオカ。