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トラヤヌスの編集履歴

2012-10-20 03:51:24 バージョン

トラヤヌス

とらやぬす

『トラヤヌス』(Trajanus)とは、古代ローマに存在した歴史上の人物。

概要

1.ローマ帝国の最盛期を支えた『五賢帝』の1人に列する第13代皇帝

2.トラヤヌス帝の父親。父子共に同一の名前であるため、父親は大トラヤヌス(Trajanus Maior)の別称を持つ。


以下は、概要1について説明を記述するものである。


本名マルクス・ウルピウス・トラヤヌス
副帝名カエサル・マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス
皇帝名インペトラル・カエサル・ディウィ・ネルウァエ・フィリウス・ネルウァ・トラヤヌス・オプティムス・アウグストゥス・ゲルマニクス・ダキクス・パルティニクス
スペルImperator Caesar Divi Nervae filius Nerva Trajanus Optimus Augustus Germanicus Dacicus Parthicus
生没53年9月18日 - 117年8月9日
在位98年1月28日 - 117年8月9日

来歴

53年9月18日、ローマ領ヒスパニア・バエティカ属州の植民市イタリカ に住むウルピウス氏族トラヤヌス家の元老院議員マルクス・ウルピウス・トラヤヌス(Marcus Ulpius Trajanus)と、マルキウス氏族バレア家の元老院議員クィントゥス・マルキウス・バレア(Quintus Marcius Barea)の娘マルキア(Marcia)の長男として生まれる。


第10代皇帝ティトゥスの在位時に軍団に参加して各地を転戦し、シリア方面幕僚、財務官、法務官、軍団長の歴任を経て執政官に就く。第11代皇帝ドミティアヌス暗殺事件の後に元老院の推挙を受けてネルウァが第12代皇帝に即位すると、ネルウァの要望に応える形で養子となった翌年に副帝に任ぜられて共同統治者となり、その翌年に崩御したネルウァの正当な後継者として第13代皇帝に即位する。


即位後は、ネルウァの政治路線を継承した柔和な内政を行って反ドミティアヌス派で構成された元老院の信頼を回復しつつ、ダキア戦争やパルティア戦争などに見られる大規模な侵略戦争によってローマ帝国領の拡大に努める。


晩年は占領地の住民やユダヤ教徒などによる各地の反乱を鎮圧するために出陣する日々を送り、メソポタミアで起こった反乱の鎮圧中に著しく体調を崩して本国への帰還を余儀なくされるも、その道中にあった117年8月9日にローマ領キリキア属州セリヌスで崩御。享年64歳。在位19年。


結婚はしていたものの自身の子を成さぬままに世を去ったが、トラヤヌス家の血統は姉のウルピア・マルキアナ(Ulpia Marciana)とその娘のサロニナ・マティディア(Salonina Matidia)によって残されることとなる。

人物

先祖がイタリア本土出身である由緒正しい血脈を受け継ぎ、その上でネルウァの養子となって家督と格式を継いではいるものの、従来はイタリア本土出身の最上流貴族からしか皇帝が選出されなかった中にあって、初めて属州出身の貴族から皇帝に即位した人物。


様々な職務を歴任したために軍務、法務、財務など政治の中枢を担う重要部署との良好な関係を保ち、皇帝即位後にネルウァの反ドミティアヌス体制を継承した政治方針によって元老院との関係を修復し、ドミティアヌスの強権政治とネルウァの短命政権を払拭する『市民の皇帝』としての治世によって民衆から絶大な支持を得るなど、各方面で厚い人望と幅広い人脈を持つ稀有の皇帝でもある。


このため、以後のヨーロッパ社会における理想の君主像として第一に取り上げられるようになり、ローマ文明を忌避するキリスト教史観においても『良き異教徒』の筆頭として認められているなど、公明正大な賢帝として君臨したトラヤヌスを絶賛する声は非常に多い。


なお、父方の叔母であるウルピア(Ulpia)がアエリウス氏族ハドリアヌス家に嫁いでおり、ウルピアの孫である第14代皇帝ハドリアヌスとは従伯父と従甥の5親等内親族の間柄にある。

業績

公共事業

戦勝記念のモニュメントとしてトラヤヌスの記念柱トラヤナ凱旋門などを数多く建造する一方、総合広場のトラヤヌスのフォルムやそれに付随するトラヤヌス市場、公衆浴場のトラヤヌス浴場、ローマ街道のトラヤナ街道および新トラヤナ街道など公共利用施設の充実とインフラ整備に注力した。

経済政策

ダキア戦争での戦果に加えて金山採掘の成功によって莫大な資金を得ると共に、流通していたデナリウス銀貨の銀含有量を切り下げて大量の貨幣鋳造を行い、ドミティアヌスが残した負の遺産に対する支払いで逼迫していた国家財政を立て直した。

慈善事業

国庫を潤す資金を通じて孤児院の建造や孤児の保護、育成を行うアリメンタ(孤児救済を中心とした児童福祉事業)を政策として正式に採用した。ただし、このアリメンタについては政策の根拠が曖昧な部分が多いために現在も議論の対象となっており、政策の一環として純粋に児童福祉事業を行ったとする有力説、方方に点在する孤児を施設に集約して市民名簿の徹底管理を図ろうとしたとする反説、その他諸説が唱えられている。

関連

先代☞ネルウァ

次代☞ハドリアヌス

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