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藤原済時の編集履歴

2024-08-10 20:42:36 バージョン

藤原済時

ふじわらのなりとき

藤原済時とは平安時代中期の公卿。

概要

父は藤原師尹、母は藤原定方の娘、官位は正二位、大納言


プロフィール

時代平安時代中期
生誕天慶4年(941年)
死没長徳元年4月23日(995年5月29日
官位正二位、大納言
主君村上天皇冷泉天皇円融天皇花山天皇一条天皇
氏族藤原北家小一条流
父母父:藤原師尹、母:藤原定方の娘
兄弟定時済時、定昭、芳子
源延光の娘、源能正の娘、源兼忠の娘
為任相任娍子通任敦道親王妃、念覚、宗覚


経歴

天徳2年(958年)に従五位下となる、後に侍従、左衛門佐、左少将、右中弁、蔵人頭となり康保5年(968年)に左中弁、翌年の安和2年(969年)に従三位となり安和3年(970年)に参議に就任、天延3年(975年)に権中納言、後に右大将、中宮大夫となった、永観元年(983年)に権大納言に就任、左大将の後の正暦2年(991年)に大納言となり長徳元年(995年)に死去、死後右大臣が贈られた。


外部リンク

藤原済時 - Wikipedia


関連タグ

公卿 平安時代 藤原北家 小一条流

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