車体
オープンカーでありながらスポーツカーとしての運動性能を実現するために、クローズドボディと同等以上の剛性確保を目指し、閉断面の大型フロアトンネルと前後のサイドメンバーとを水平につなぐ「ハイXボーンフレーム構造」を採用した。これに合わせてフロントピラーへは二重鋼管を内蔵し、乗員後方に高強度のロールバーを設置や、ツインドアビームを採用するなどにより、乗員の傷害軽減に配慮した構造も採用した。また、ボンネットは軽量化を狙いアルミ製となっている。
パワープラント
駆動方式はホンダとしては29年ぶり(S800以来)となるFRである。
エンジンは前車軸より後方に置かれ(いわゆる「フロントミッドシップ」)、車体の前後重量バランスを50:50にすることに成功した。
エンジンルームに縦置きにされたVTEC採用の直列4気筒DOHC「F20C」エンジンは最高出力250PS(1リッターあたり125PS)を発生し、許容回転数は9000rpm。市販車においてこのような高回転型エンジンは稀であり、そのピストンスピードはF1エンジンに匹敵する。
環境性能も追求しており、燃費もリッター11~12kmとスポーツカーにしては良い方である。
トランスミッションは6速MTのみでAT車の設定はなく、9000rpmの高回転を許容するためホンダが独自で開発したものである。
操作フィーリングの向上をめざし、36mmという短いシフトストロークを実現している。
2004年からの北米仕様向けモデルはエンジンを「F20C2」に変更した。
この「F20C2」は従来型である「F20C」のシリンダーボア径はそのままに、ストロークを84.0mmから90.7mmに延長、排気量を2.2Lに拡大、許容回転数を8000rpmに下げたものである。
これは主に北米市場からの「乗りやすさ」を求めた要望によるもので、常用域におけるトルク増加が目的とされている。
日本においても2005年11月のマイナーチェンジでエンジンが「F22C」に変更された。
エンジン仕様
AP1 | AP2 | |
型式 | F20C | F22C |
シリンダー内径×行程 | 87.0×84.0mm | 87.0×90.7mm |
総排気量 | 1997cc | 2156cc |
圧縮比 | 11.7 | 11.1 |
最高出力 | 250PS(184kW)/8300rpm | 242PS(178kW)/7800rpm |
最高トルク | 218N・m(22.2kgf・m)/7500rpm | 221N・m(22.5kgf・m)/6500~7500rpm |
種類・シリンダー数 | VTEC 直列4気筒DOHC |
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燃料供給装置 | ホンダPGM-FI電子制御燃料噴射装置 |
使用燃料 | 無鉛プレミアム |
燃料タンク容量 | 50リットル |
初代 AP1/2型(1999~2009年)
1995年
東京モーターショーにオープンスポーツカーのコンセプトカーとして「ホンダ・SSM」が参考出展される。その後、反響を受けて市販化への開発に着手。開発には上原繁をはじめとしたNSX開発陣が携わった。
1998年10月4日
ツインリンクもてぎで行われた、本田技研工業創立50周年記念イベント「ありがとうフェスタinもてぎ」で、ホンダの歴代社長がパレードする車に使用され、お披露目される。
1999年4月15日
S800の後継のオープンスポーツカーとして発売開始。車種は1グレードのみで338万円。
2000年7月14日
VGS(可変ギアレシオステアリング)を装備した「Type V」が追加された。
これに伴い、サスペンションやスタビライザーを柔らかく変更。
2001年9月14日
初のマイナーチェンジ。ここで多数の改良がされる。
リアスクリーンをタイマー付き熱線入りガラスに変更。内・外装色に新色が追加され、それらと幌色の組み合わせを選択出来る「カスタムカラープラン」を導入。
エンジンフィールの向上、サスペンションのセッティングが見直され、先のType Vでされたようにスタビライザーを弱くし、よりマイルドな動きをするようにされた。
インテリアでは、ウインドディフレクターが標準装備化され、フットレストがペダル同様にアルミに、シフトノブがアルミの削りだしから本皮巻きに変更された。また、センタートンネルのカーペットの生地が毛玉のつきにくい素材になった。
2003年10月17日
2年ぶりのマイナーチェンジ。
外観上はフロントバンパーの両サイドに設けられたダクトが中央寄りに配置変更され、ヘッドライトの意匠が変わり、テールライトにLEDが採用された。
性能面では17インチホイールの採用に伴い、ボディ剛性の強化、サスペンションセッティングの見直しを行い、安定性を向上させた。また、スタビライザーの強さも弱められ、よりマイルドになっている。
トランスミッションにカーボンシンクロナイザーを採用し、シフトフィーリングが改善されている。
2004年4月
本田技研工業高根沢工場の閉鎖に伴い、鈴鹿製作所TDラインに移行。型式番号はAP1-200。
2005年11月24日
日本仕様ではマイナーモデルチェンジで排気量が2.2リッターとなり、型式がAP1からAP2に変更された。
エンジンの最高出力は250→242PSに、許容回転数は9000→8000rpmへと落とされたが、低中速のトルクが向上した。スロットルボディにはDBWを採用。
外観上の変更はホイールのデザイン変更に留め、内装ではドアに設けられたサイドポケットの変更のほかに、メーターに時計と外気温表示の追加がされた。
2006年
北米仕様も上記と同様の改良が施され、ギア比もローレシオ化された。
日本仕様には設定されなかったクルーズコントロールが設定されており、250km/hまで設定できるようになっている。
2007年4月4日
ニューヨーク国際オートショーで「CR」プロトタイプを発表。
「CR」とは休日などにモータースポーツを楽しむ人達を指す「クラブレーサー(Club Racer)」の略で、「クラブマン」と同じ意味合いである。
変更点はボディ剛性を保ちながらの40kgの軽量化と、スプリングやダンパーを中心とした足回りの強化。
外観では専用のフロント・リアスポイラー、ヘッドレスト・フェアリングなどの空力部品やソフトトップに代わる脱着式のアルミ製ハードトップなど。
2007年10月22日
AP2初のマイナーチェンジが行われ、08モデルとして発表された。このマイナーチェンジでS2000では初となる電子制御システム(ABSとTCSに加え、横滑りを制御するシステム)を持つVSAが採用される。
先に発表された北米仕様である「CR」の国内仕様として「Type S」が設定された。
サーキット走行を重視した「CR」とは異なり日常使用でのワインディング走行を重視したモデルで、空力面とサスペンションセッティングを煮詰め直すことで、従来の標準仕様モデルよりも高速域の安定性と操縦感を向上させている。
「Type S」は上原繁が本田技術研究所在職最後に手掛けた車となった。なお、「Type V」は08モデル移行時に廃止されている。
2009年1月27日
同年6月に生産終了することを発表。
2009年8月4日
生産終了の発表後も注文が相次いでいたため生産を続けていたが、週内に生産を終了することを発表した。
これにより、再びホンダのラインナップからFR車が消滅した。
生産
1999年の登場時からNSXの専用生産工場として建設された栃木製作所高根沢工場で生産されていたが、2004年4月にホンダの完成車一貫生産構想に基づいて高根沢工場での生産を中止。
以後は同社鈴鹿製作所の少量車種専用ラインであるTDラインへ生産を移管していた。
評価
前述の通り剛性面で劣るオープンでありながらサーキット走行にも耐えうる性能の代償として非常に高価であった。同じオープントップのNBロードスターやMR-Sのエンドモデルがせいぜい200万円台半ばであったのに対し、S2000はベースグレードで330万、エンドモデルで390万円に達した。
高価なりに開発費が回収できれば問題なかったのであろうが、モデルライフが10年と長い割にマイナーチェンジはわずか2回、そして初代を持って絶版という事実が商業面での評価を物語っている。
その分スポーツカーとしての出来は優秀で、スーパー耐久でもハードトップのライバルたちを幾度も破ってクラスチャンピオンの実績を持つ。しかしサスペンションの設計やセッティング、アライメントなどの影響で、特に初期型ではコントロール性に問題があり限界付近ではピーキーになりやすいので、初心者がサーキットを攻めるのには注意が必要である。マイナーチェンジを重ねるごとにマイルドなセッティングへ変更されたが、それでも同時期の同クラスFRスポーツ(シルビアやアルテッツァなど)と比べ初心者には運転が難しい車になってしまった。
9000回転も回る特徴的なエンジンだが、登場当初から特性に関しては疑問の声が多く、「パワーバンドを外した時のトルクの無さがあまりにもひどい」「上は回るがパワー感はイマイチ」という声が多かった。実際、後発のFD2型シビックタイプR(225馬力)には、前期型の2リッター250馬力仕様でも、後期型2.2リッター242馬力仕様でもついにかなわなかった。(ただし、FR駆動の車はFF駆動の車に比べ、プロペラシャフトを経由するなど馬力損失が大きい傾向にあること、またタイプRはサーキット走行のみに焦点を絞った特殊なクルマであることは考慮が必要)
また、オープンボディの中では高剛性とは言えルーフが無いという差はいかんともしがたく、この車をハイチューンする場合は後付けのフィクスドルーフ(ハードトップ)を溶接にて装着することが定番となった。