チリ共和国
ちり
データ
概要
チリ共和国(チリきょうわこく、スペイン語:''República de Chile''、読み:レプブリカ・デ・チレ)は、南アメリカ南西部に位置する共和国。主要産業は銅を初めとした鉱業・農業である。人口は2017年4月時点では1757万4003人だった。
1818年2月までスペインに統治され、その後も内戦・周辺国との紛争が長く続いた。社会主義政権・軍事政権を経由し、1990年3月に文民政権が発足した。2019年に地下鉄運賃を巡り大規模な暴動が発生。
国土
南北に極端に細長い独特の国土が特徴。東はアンデス山脈、西は太平洋と、南北にしか領地を拡大できなかった為にこの地形になってしまった。
その極端に細長い国土の形状から「小さい国」と誤解されがちだが、同じく南北に細長い日本と比べても東西の幅はそれほど大差は無い。国土はイースター島とサラ・イ・ゴメス島を含めると75万6102平方km、日本(37万7976平方km)の2倍以上。
ちなみにアフリカのザンビア(75万2618平方km)と面積がほぼ同じ。
地震の巣?
ナスカプレートが沖合から160km付近にあり、その為大規模な地震被害が多い。1960年5月には日本の東北地方太平洋沖地震の約5倍のエネルギーであるマグニチュード9.5という人類史上最大の地震が発生した。その津波は約1日かけて日本にまで到達し、甚大な被害を出している。
歴史
スペイン統治時代
1540年12月にスペインの征服者であるペドロ・デ・バルディビアがチリに入り、1541年2月に現在の首都であるサンティアゴ市を設立した。1553年12月のトゥカペルの戦いで、ペドロ・デ・バルディビアはマプチェ族の戦士に殺害された。
1598年12月のクララバの戦いによってチリの征服は終了し、1818年2月に独立するまでスペインの統治に服した。
国際関係
- 日本
1897年9月に外交関係を樹立し、この時に修好通商航海条約が締結された。1945年4月にチリは日本に対して宣戦布告して交戦国同士となったが、1952年10月に回復した。それ以降両国には友好的な外交関係が保たれている。
- スペイン
1844年4月に外交関係を樹立し、この時に平和友好条約が締結された。1866年3月にスペインは自らの船舶がチリの港に停泊する事を拒否され、その報復としてチリのバルパライソ港を砲撃した。
1939年4月にフランシスコ・フランコ政権を承認し、サルバドール・アジェンデ政権とは友好関係にあった。1975年11月にフランコが死去した時、アヴグスト・ピノチェト大統領は彼の葬式に出席した唯一の外国元首であった。
ピノチェトのナチス残党と共謀した独裁政権は混乱を極め、チリの暗黒時代を築いた。
1990年10月にスペイン国王フアン・カルロス1世が初めてチリを公式訪問し、その後国王は何度かチリを訪問した。
渡航
査証免除取極により90日以内の短期滞在なら査証は不要。入国時にPDIと記載されたレシート(入国カード)を渡される(万一紛失したときは空港や国際警察局で再発行可能)。
日本の外務省は2019年の騒擾以来治安が悪化傾向のため注意してほしいとのこと