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立花直次の編集履歴

2024-12-13 19:23:25 バージョン

立花直次

たちばななおつぐ

立花直次とは安土桃山時代から江戸時代初期の武将。

概要

父は高橋紹運、母は宋雲院(斎藤長実の娘)、官位は従五位下、民部少輔、主膳正。か初名は高橋統増立花宗茂の弟。



経歴

元亀3年(1572年)に誕生、天正14年(1586年)の岩屋城の戦いで父紹運が自害し島津軍に降伏、宝満山城は開城となった、豊臣秀吉の九州征伐後に秀吉に仕え、筑後三池18000石の領地を得た、天正20年(1592年)の朝鮮出兵に参加、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは兄宗茂と共に西軍についたため領地を失ったが徳川秀忠に仕え慶長19年(1614年)に常陸国筑波郡柿岡5000石の領地が与えられ立花に改姓した、元和3年(1617年)に死去。

大牟田市鳥塚町にある三笠神社に、父・紹運、母・宋雲尼と共に祭神として祀られている。




外部リンク

立花直次 - Wikipedia


関連タグ

大名 安土桃山時代 江戸時代 高橋氏 立花氏 三池藩

立花忠茂︰4男。生後すぐに嫡男に恵まれなかった兄・立花宗茂の養子となった。柳河藩2代藩主。

立花種次︰直次の跡を継いで三池藩2代藩主となった。

柳生宗矩︰剣術の師。直次自身は新陰流を名乗らず、後に「新陰治源流」を開いた(現在は失伝)。

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