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俺の主砲が一斉掃射の編集履歴

2013-07-11 00:34:49 バージョン

俺の主砲が一斉掃射

おれのしゅほうがいっせいそうしゃ

俺の主砲が一斉掃射とは、対艦砲撃戦である。

全主砲、斉射。…てーい!

1900年頃までの海戦の砲弾の命中率は、個々の大砲を操作する砲手の腕前にかかっていた。

すなわち大砲一つ一つの砲手がそれぞれ別々の判断で照準を合わせ、それぞれの判断で射撃を行なっていた。

これを独立撃ち方と呼んでいた。この方法は砲戦距離が数千mまでは有効だが、

それ以上の距離では着弾地点の正確な観測が難しく、命中を期待しにくい。

このため艦砲の長射程化とともに、命中率の高い新しい射撃方法が模索された。


距離、速度、よし!全門斉射ぁ!

当時、イギリスでは、多数の同一口径砲が同一のデータを元にした照準で同時に弾丸を発射し、着弾の水柱を見ながら照準を修正してゆく「斉射」の有効性が認識された。

つまり、艦橋から一元的に距離を指示し、砲側では一切修正せずに複数の砲で同時に砲撃を行い、水柱が敵艦よりも手前側に上がった場合は照準を遠くへ、水柱が敵艦よりも奥側に上がった場合は照準を手前側に調整する。

このように砲撃の都度、照準を調整して、最終的に斉射が「挟叉」の状態、すなわち砲弾が敵艦の手前と奥に同時に着弾する状態になったときに、照準が正しい状態にあると判断できるのである。


全砲門!Fire!

この斉射を念頭に設計された最初の戦艦が、イギリスの戦艦ドレッドノート」である。

ドレッドノートは中間砲・副砲を撤廃し、単一口径の連装主砲塔5基で兵装を構成した、当時の戦艦の概念を一変させた革新的な艦であった。

これにより片舷火力で最大4基8門の砲が使用可能となり、そのため、一見「本艦1隻で従来艦2隻分」以上の戦力に相当すると言われたが、長距離砲戦での有効性はそれ以上であった。

ドレッドノートの登場により、それまでの戦艦、ひいては建造中の最新鋭の戦艦ですらも一気に時代遅れとなってしまい、各国はドレッドノートに匹敵する戦艦(ド級戦艦)の建造を急ぎ、数年後にはド級戦艦を凌駕する「超ド級戦艦」が誕生。世界各国による大建艦競争時代(大艦巨砲主義)が幕を明けた。


日本の場合はどうだったか。

ドレッドノート登場後にイギリスから技術導入として、日本に最初に導入された戦艦が「金剛」である……とゆーのは実は真っ赤なウソである。


当時、戦艦は「堅牢で強固な装甲をもつが、鈍足」というのが当然だった。

これでは日本海海戦のように初っ端から主力艦同士が艦隊決戦をやるならいいが、敵の船団を追撃するときなど、商船のほうが足が速く逃げられてしまう。

そこで装甲を薄くし、排水量に比して大出力の機関を搭載し、尚且つ戦艦並みの火砲を備える、という機動戦闘用の艦種として、巡洋戦艦という艦種があった。

日本での名前こそ「戦艦」と入っているが、要は巡洋艦の親玉であり、戦艦とは似て非なるものである。

英海軍は「ドレッドノート」の後、同様の技術を用いた巡洋戦艦「インビジブル」を建造した。これに興味を持った日本海軍が、イギリスに発注したのが「金剛(2代目)」なのである。

一方、肝心の戦艦の方はと言うと、よーやく見よう見まねで戦艦が造れるようになったばかりの日本は、国産初の戦艦「薩摩」「安芸」が竣工したときにはすでに「ドレッドノート」が就役しており、やっと追いついたと思ったらまた離されてしまったのである。続いて多少「ドレッドノート」に近づけようとした「河内」「摂津」を建造するが、これも旧態依然の感を拭えず。そこで思い切って、「ドレッドノート」を上回る36cm主砲10門装備の超ド級戦艦4隻の建造に乗り出した。

これが「扶桑」型であるが、機関と装甲の配置に問題があったため、後発の2隻は大幅な設計変更を受けた(「伊勢」型)。

それ以降に登場する日本のすべての戦艦は超ド級戦艦に該当する。

例外として大和型戦艦については、超ド級戦艦をも凌ぐ戦艦として「超々ド級戦艦」と呼ばれることもある。


ここどこですか?なんでわたしここにいるんですか??

んじゃあ「金剛」はなんだったのかというと、実は巡洋戦艦から戦艦へクラスチェンジしたのである。

そもそも巡洋戦艦の目的が追撃戦であること、そしてその相手は主に高速商船であることは先述した。

ところが日本海軍というのは黄海海戦日本海海戦、と、敵の艦隊が攻めてきたのを迎え撃つ(漸減作戦)艦隊決戦しか頭になかったため、巡洋戦艦という艦種はあまり使い勝手がよくなかった。

そこで1922年、ワシントン海軍軍縮条約が締結された際に、「インビジブル」より旧型の巡洋戦艦は廃艦か雑用艦(海防艦)に分類して処分、金剛型4隻は装甲を増加して戦艦に改装され、1924年に日本海軍の艦種から「巡洋戦艦」は廃止された。

この当時の「金剛」型の速度は25ノット程度と、扶桑型、伊勢型と大差なくなっている。長門型より遅かったのだ。


しかしもともと巡洋戦艦として建造されたために船体が高速航行向きであることと、この間の技術革新(主に大和型、翔鶴型建造のためのもの)により、船体中央部に主砲塔のない金剛型は大出力の期間を搭載して高速化する余地があった。ロンドン条約明けを見越した第二次改装(「比叡」のみ第三次改装)により、よく知られる「高速戦艦・金剛」となったのである。


提督…この手はなんですか…? 何かの演習ですか? …撃ってもいいですか?

艦娘への主砲一斉掃射は計画的に。着弾したら責任は取りましょう。

セクハラしすぎで降格されないように、お気をつけて。

あ、あと提督。提督の主砲は小口径すぎて役にたたないみたいですよ。


関連タグ

艦隊これくしょん 夜戦 海軍精神注入棒

当たらなければどうということはない 俺の股間がティロ・フィナーレ




























要するに

今のところタグがついてる絵は全部R-18カテゴリなんだ。それだけで解るよね。

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