俺の主砲が一斉掃射
おれのしゅほうがいっせいそうしゃ
全主砲、斉射。…てーい!
1900年頃までの海戦の砲撃は、個々の大砲を操作する砲手の腕前にかかっていた。すなわち大砲一つ一つの砲手がそれぞれ別々の判断で照準を合わせ、それぞれの判断で射撃を行なっていた。
この方法は砲戦距離が数千mまでは有効だが、それ以上の距離では着弾地点の正確な観測が難しく、命中を期待しにくい。
このため艦砲の長射程化とともに、命中率の高い新しい射撃方法が模索された。
距離、速度、よし!全門斉射ぁ!
当時、イギリスでは多数の同一口径砲が同一のデータを元にした照準で同時に弾丸を発射し、着弾の水柱を見ながら照準を修正してゆく「斉射」の有効性が認識された。つまり、艦橋から一元的に距離を指示し、砲側では一切修正せずに複数の砲で同時に砲撃を行い、水柱が敵艦よりも手前側に上がった場合は照準を遠くへ、水柱が敵艦よりも奥側に上がった場合は照準を手前側に調整する。
このように砲撃の都度、照準を調整して、最終的に斉射が「夾叉(きょうさ)」の状態、すなわち砲弾が敵艦の手前と奥に同時に着弾する状態になったときに、照準が正しい状態にあると判断できるのである。
全砲門!Fire!
この斉射を念頭に設計された最初の戦艦が、イギリスの戦艦「ドレッドノート」である。ドレッドノートは中間砲・副砲を撤廃し、単一口径の連装主砲塔5基で兵装を構成した、当時の戦艦の概念を一変させた革新的な艦であった。
これにより片舷火力で最大4基8門の砲が使用可能となり、そのため、一見「本艦1隻で従来艦2隻分」以上の戦力に相当すると言われたが、長距離砲戦での有効性はそれ以上であった。
ドレッドノートの登場により、それまでの戦艦、ひいては建造中の最新鋭の戦艦ですらも一気に時代遅れとなってしまい、各国はドレッドノートに匹敵する戦艦(ド級戦艦)の建造を急ぎ、数年後にはド級戦艦を凌駕する「超ド級戦艦」が誕生。世界各国による大建艦競争時代(大艦巨砲主義)が幕を明けた。
例外として大和型戦艦については、超ド級戦艦をも凌ぐ戦艦として「超々ド級戦艦」と呼ばれることもある。