概要
高校は、野球の名門校PL学園高校に進学。3年の時に第64回選抜高等学校野球大会に出場し、8強入りを果たす。その後、東洋大学に進学し、ショートのポジションを不動のものにし、同学年で同ポジションであった青山学院大学の井口資仁(現千葉ロッテマリーンズ)と並び「双璧」と呼ばれた。東洋大学在籍時の1996年、アトランタオリンピックに出場したが、今岡、井口、当時社会人野球の日本生命に所属していた福留孝介(現阪神タイガース)と3人のショートが選出されており、今岡は井口にショートのポジションを譲り、セカンドを守っていた。(福留はサード)
1996年のプロ野球ドラフト会議前に阪神タイガースを逆指名し、阪神に入団。1年目の1997年はセカンド、2年目の1998年はショートとしてレギュラーに定着。
2005年には、当時の監督岡田彰布の意向でサードにコンバートし、5番打者に定着。同年の3番アンディ・シーツ、4番金本知憲、5番今岡らによるクリーンナップ3人の合計357打点は球団史上最高記録である。阪神はこの年、リーグ優勝を果たした。
2006年以降は故障が相次ぎ、代打での出場が多くなった。体への負担を軽減させるためにこれまでファーストを守っていた新井貴浩をサードに変え、今岡をファーストで使ったりしたが、不振から脱却できずに2009年に戦力外通告を受けた。
2010年、大学時代のライバルであった井口が所属する千葉ロッテマリーンズに入団。指名打者や代打で出場したが、2012年に現役を引退した。