M26
えむにじゅうろく
概要
開発経緯
第二次世界大戦中期よりアメリカ陸軍は、アフリカなどにも軍を派遣していた。しかし、アメリカ陸軍が当時主力としていた。M4中戦車はドイツ軍のティーガーⅠと渡り合うには役者不足であることが判明していた。しかし,陸軍地上軍管理本部(AGF)はドイツ軍の重戦車との遭遇率は決して高くないとし新型車両の開発には消極的だった。だが、いざ蓋を開けてみるとティーガーⅠよりパンターとの遭遇率が高くしかも、同じ中戦車でありながらもM4中戦車では歯が立たないことが判明した。抵抗のできる部隊も存在したが現場からは、強力な新型車両の開発が要求された。
開発
M4シャーマンの後継候補として、1943年5月にT20の試作型が完成し、後に足回りをトーションバー式に変更したT20E3、ガス・エレクトリック式のハイブリッドエンジンを搭載したT23シリーズなどを経て、主砲を対戦車戦闘能力の期待できる50口径90mm砲M3を搭載する新型として、T25E1中戦車と装甲強化型のT26E1重戦車が試作され、1944年5月の段階で前者が30輌、後者は10輌完成していたが、持論をゴリ押しするAGFの妨害によりその採用と配備は遅延していたが、参謀総長の前で事の白黒をつけると兵器局長に恫喝され、一転して弱腰となった。こうしてT26E3の投入はなし崩し的に決定され、同時に戦車の技術的な問題点を確認するための「ゼブラ調査団」が送り込まれた。。
第二次世界大戦での戦績
1944年12月にドイツ軍の行ったアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)において、初めてまとまった数で投入された新型重戦車ティーガーⅡはアメリカ軍防衛線を一方的に蹂躙突破てしまったと言われている。1945年1月、ようやく20輌のT26E3が第3機甲師団に実戦配備され、後の4月には「M26パーシング」重戦車として制式化された。ヨーロッパ方面には約300輌のM26が送り込まれたが、終戦までに部隊配備が間に合ったのはその2/3程にすぎなかった。太平洋戦線への投入は1945年3月末に開始された沖縄戦が初めてだと言われるが、同年2月の硫黄島の戦いに実戦評価のため既に投入されていたとする説も存在している。