中島秀信(なかしまひでのぶ)とは、山口県下関市出身の音楽家。演奏家、編曲家、作曲家、教育家である。
略歴
1925年、山口県下関市に生まれる。ギターに出会ったのは、中学生の頃。楽器店勤務を経たのち、弦楽器などの演奏家として活動した。全日本弦楽器指導者協会に所属し、広島県支部長も歴任した。
編曲家としては、生涯、100を超える編曲に関わり、大きな功績を残した。コンサートや演奏会、音楽コンクール、音楽祭、その他イベントで楽曲の編曲を手掛けた。多くの編曲作品は、現在も、音楽行事で使用されている。
作曲活動も行い、小学校の校歌なども手掛けた。1954年4月には広島市立安小学校の校歌、1977年9月には 東広島市立東西条小学校 の校歌を、それぞれ作曲した。
また、音楽教育にも取り組んだ。1976年には 双三郡(三次市)徳市の「親子音楽」を指導した。楽科の教育にも携わった。全日本学校音楽教育研究会に講師として所属し、音楽教育に尽力した。
2003年5月15日に死去。