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源義平の編集履歴

2014-07-21 05:17:58 バージョン

源義平

みなもとのよしひら

源氏の武士。源頼朝の兄。

源義平(1141-1160)は平安時代末期の武士である。河内源氏の棟梁源義朝の長男であり、後の征夷大将軍源頼朝の兄にあたる。母は三浦義明の娘とされる(異説もあり)。


当時父義朝は相模を勢力範囲とし、これに対抗して源義賢は地元の豪族秩父重隆の婿となり、武蔵国に勢力を伸ばして相模を脅かしていた。1155年、義平はまだ10代前半の若さにして、武蔵国比企郡の大蔵館にいた義賢を襲い、秩父重隆ともども打ち取る(大蔵合戦)。この武名によって、義平は鎌倉悪源太と呼ばれる。鎌倉の恐ろしく強い源氏の長男、という意味である(→)。またこの時信濃に逃れた義賢の子、駒王丸は後に成長して木曽義仲となった。


平治の乱では三浦氏や上総氏といった手勢を率いて上京し、平家方と戦う。この時は義平は内裏紫宸殿前庭を守り、待賢門にて攻撃側の総大将である平家の嫡男平重盛と戦う。そして庭園の左近の桜、右近の橘を巡って重盛を七、八巡りも追い回し、ついに敗走させたという。しかし、ソースは『平治物語』という源氏の世である鎌倉時代に成立した軍記物語なので、多少割り引く必要がありそう。少なくとも平家方が退いたのは計略であった模様で、源氏方は六条河原にて平清盛が率いる平家主力の待ち伏せを受け、潰走。義平は落武者狩りで捕縛され、六条河原で斬首されたという。

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