信濃
しなの
旧国名としての長野県
略称は信州。
先述の通り、信濃国の範囲はほぼ現在の長野県に相当する。しかし例外が存在する。
それは、現在岐阜県中津川市に属する、旧山口村、旧神坂村である。
旧神坂村→旧山口村には、島崎藤村の出身地として知られる馬籠がある。
旧神坂村は1957年に中津川市との越県合併を決めたが、長野県議会が反対し村が分裂するほどの騒動に発展した。結局、1958年に馬籠などの3集落は山口村と合併して長野県に残り、旧神坂村の残りは岐阜県中津川市と合併した。
その旧山口村も、2005年に中津川市と越県合併して岐阜県となった。
航空母艦「信濃」
大日本帝国海軍に所属していた空母で1961年にアメリカ海軍の原子力空母エンタープライズが就役するまでは世界最大の排水量を誇る空母であった。
性能諸元
就役 | 昭和19年 | ||
全長 | 266.1m | 飛行甲板長 | 256m |
全幅 | 40m | 水線長 | 36.3m |
平均吃水 | 10.31m | ||
基準排水量 | 62,000t | 公試時 | 68,060t |
満載排水量 | 71,890t | ||
速度 | 27kn(計画) | ||
航続距離 | 18ノットで10,000 海里 | ||
兵装 | 12.7cm連装高角砲 | 8基 | |
25mm3連装機銃 | 37基 | ||
25mm単装機銃 | 40基 | ||
12cm28連装噴進砲 | 12基 | ||
エレベータ | 2基 | ||
艦載機 | 常用42機 | 補用5機 | |
乗員数 | 2,400名 |
大和型戦艦の3番艦(110号艦)として横須賀海軍工廠で建造されていたが、建造中に大東亜戦争(太平洋戦争)開戦に伴い、一旦完成は諦められた。が、ミッドウェー海戦での空母大量喪失のショックで航空母艦に設計変更して工事が進められることになった。それも、対魚雷防御は大和譲り、飛行甲板にも十分に装甲を張って決してミッドウェーの悲劇を繰り返させない装甲空母としてであった。
1944年10月8日に進水、11月19日に就役。日本海軍で一番最後に就役した空母となった。呉で艤装を行なうために11月28日に横須賀を出港、翌11月29日未明に米潜水艦「アーチャーフィッシュ」が発射した魚雷を4発受け、就役からわずか10日、一度も実戦につかぬまま、かつ未完成のまま、沈没した。
実在した船ではあるが、ある意味架空艦に近い存在である。
沈没時点は潮岬沖の北緯32度0分 東経137度0分と特定されているが、沈没場所が戦艦大和(長崎県男女群島女島南方176km、水深345m)や戦艦武蔵(シブヤン海の水深1km)より深い6,000~7,000mの深海のため「信濃」の船体は未だ発見されていない。