掛け軸
電が書いたとされる『なのです掛け軸』という家具アイテムまで存在する。
また、公式コミック5話で実際に電が掛け軸を書いているところが描かれている。
なお、掛け軸についてしまった猫の足跡が多摩のものである。タグが右から左に書く右横書きなのは、この『なのです掛け軸』に依拠したもの。
→ぜかましも参照。
右横書きについての補足
日本は本来右縦書きが主流で、横書きする場合も右横書きを使っていた。
英語を見習った左横書きは戦後からの文化とされている。
が、実はこれは戦後人の勘違い。
脱亜入欧を目指していた日本は欧米文化を素早く取り入れた。そのひとつがアラビア数字による計算式だったのは言うまでもない。
右縦書きではこれが使いづらい。
加えて、もともと表音文字と表語文字を併用する日本では、かな漢字に英単語を混ぜて書くことも戦前から普通にあった。
ところがこの場合、英単語を右から書くことは普通しないので、途中で読みの方向が変わり、ネックになった。
実際、右横書きのアラビア文字を使用しているアラビア語・ペルシア語圏では、これがソフトウェア開発のネックになっているとされる。
※だが、アラビア文字で元から使っていたインド数字(インドから渡来した数字で、アラビア数字の原型)も左横書きである(インドの文字が左横書きだったため)。
加えて右書きは、右利きの人間の場合、書いた文字の上を手が移動することになる。
毛筆のころは基本的に手を浮かせて書くので問題なかったが、鉛筆や万年筆、また後に普及するボールペンでは、手を下して速記するので滲みや擦れの原因になってしまう。縦書きなら次の行に移るまでにある程度乾いてくれるが、横書きならなおさらのこと。
これらの理由から、左横書きは戦後人が思ってるよりも早い時期から取り入れられた。
一般にも大正中ごろまでには普通に普及していた。
有名なところでは松下電器産業(現パナソニック)の当時のCIロゴに使われた通称 ナショ文字 がある。
ただ、右横書きもそれなりに使われていた。右横書きが廃れるのは戦後で間違いない。
ましてイギリスかぶれが多い我が大日本帝国海軍ではなおのこと。陸軍ならともかく。
あきつ丸「失敬な! 陸軍も日華事変勃発のころはすでに横書きの公式文章は左横書きだったのであります!」