メンバー
- よじょう(1981年7月30日生まれ)
ボケ担当
本名は四条和也(よじょう かずや)、本名と今の芸名の間に「つくね」として活動していた。
中学社会と高校地理歴史の教員免許を所持しており、かつては教師を目指していたが母校での教育実習中に挫折した。
2016年にラジオでHey!Say!JUMPと共演した時の出来事がきっかけで、ジャニオタになった。
2014年に結婚。上京の際国分寺に住むことをネタされた。
- 奥田修二(おくだしゅうじ、1982年3月3日生まれ)
ツッコミ、主なネタ制作担当
兵庫県宝塚市出身、修成建設専門学校卒業。
実家が造園業を営んでいるのもあり、芸人になる前は造園業の職人として働いており、2級造園施工管理技士の資格も所持している。
高校時代はモーニング娘。のファンで、テレビ番組での取材がきっかけでドルオタを加速させた。
来歴
共に兵庫県宝塚市出身。2人の出会いは中学で在学当時は互いに目立たないキャラで顔見知り程度だったが、20歳の頃に地元のプール監視員のバイトとして偶然再会。2人ともモテたいあまり髪型を丸刈りにしてヒゲを生やし、真っ黒に日焼けをした風貌となったにも拘らず女の子には奥手だったことから意気投合。その後、奥田が芸人を志しM-1グランプリへの出場を目指し、一方のよじょうは別の友人にコンビを組もうと誘うが断られてしまう。やけ酒を飲んでいた時に慰めてくれたよじょうを奥田が誘い、よじょうも「ええけど、俺ボケしかでけへんで」と戸惑いつつもコンビを結成。そして、2005年のM-1グランプリにアマチュアとして準決勝進出を果たす。本戦には進出出来なかったがその成果の末、吉本興業のオーディションに合格し2007年12月より吉本へ所属する。このため、NSC27期生と同期で、同期にGAG、ミルクボーイなどがいる。
しかし、その後のM-1は3回戦や準決勝で敗退し、ラストイヤーである2020年も準決勝敗退に終わり、一度も決勝に進出出来なかった。
更にキングオブコントも2回戦敗退、良くて準決勝にまでしか進出出来ず、コンビ結成から15年経っても一度も日の目を浴びない不遇な日々が続く。
なお、2011年にTHE_MANZAIで賞レースで初めて決勝進出し、同じく初の全国ネット出演を果たすが、結果は3年連続グループ予選敗退で早々に退場となり、知名度は全く上がらなかった。
やがて、元々M-1グランプリに憧れてお笑いを始めたのに、最後まで決勝まで辿り着けず、更には一度M-1が終了した当時の今まで拠点としていた劇場のbaseよしもとも無くなり、結成してから10以上経ってもロクな成果も出せない荒んだ状況から次第に奥田はモチベーションが喪失し、芸人を辞めて解散を提案するも、よじょうは大反対し揉めて大喧嘩に発展し遂には解散寸前まで追い込まれてしまう。それでも互いに話し合った結果、『今ここでお笑い辞めたら、俺らがお笑いやってたなんて誰も知らないまま終わる。俺らが辞めた時に“あいつらお笑い辞めたんやな”って思われるまでは続けよう』と解釈し、解散までは踏み止まった。その際にやれそうなことを書き出し、そこから出来ないものを全部消していくと『漫才』と『ネタ』だけが残った。この2つで一番を目指して無理なら辞めようと決心してからは喧嘩をしなくなり、以降は関西ローカルの賞レース中心で幾度も賞を受賞するなど次第に成果を上げていく。
そして、2024年のTHE_SECONDで初の決勝進出を果たし、3回に渡るトーナメント戦の末、決勝戦で294点という歴代高得点を叩き出し、コンビ結成19年目にして全国ネットの賞レースで初の優勝を遂げた。
芸風
主に正統派のしゃべくり漫才を得意とし、コントも披露している。奥田が日常の出来事をヒントとして披露し、よじょうの言い間違いや例えミスを奥田がツッコむというのが一連の流れである。
余談
元々のコンビ名である「学天即」は、1928年の大礼記念京都博覧会で大阪毎日新聞が出品した東洋で初めてのロボットである「學天則」が由来。実物でなく、映画『帝都物語』に登場する學天則に奥田が影響を受けコンビ名につけようと考えたが、M-1グランプリのエントリー用紙に記入したコンビ名の字が汚すぎて「学天則」を「学天即」に間違えられた。その後「学天即」というコンビ名で活動していたが、2021年11月6日に行われた単独ライブで、コンビ名を漢字表記の「学天即」から今のカタカナ表記の「ガクテンソク」への改名を発表した。
関連タグ
- 歴代THE_SECOND優勝者
- 歴代ytv漫才新人賞優勝者