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岡田武史の編集履歴2015/07/22 14:12:27 版
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日本サッカー選手、指導者。1956年生まれ。

大阪市出身。選手としては1980年より1990年まで古河電気工業サッカー部(現ジェフユナイテッド千葉)でプレーした。

引退後、同チームコーチを経て1995年に日本代表チームコーチに就任。1997年10月、加茂周代表監督の更迭に伴い代理監督(のち正式監督)就任。日本代表初のワールドカップ進出を果たした。1998年フランス大会本大会では3連敗でグループリーグ敗退し監督辞任。

その後Jリーグ1部のコンサドーレ札幌監督(1999年~2001年)、横浜F・マリノス監督(2003年~2006年8月)を務めた。

2007年12月、当時のイビチャ・オシム代表監督が緊急入院したことに伴い急遽後継の代表監督に就任。南アフリカ大会予選は通過したが大会前の強化試合等で成果が上がらず、本大会出場決定時に掲げた「ベスト4」どころか前回指揮時と同じ3戦全敗を予想する声が多くを占めるなかで本大会でも引き続き指揮をとることとなった。

しかし迎えた本大会では格上とみられていたカメルーンデンマークを破り(カメルーン戦は日本代表初の海外本大会での勝利でもあった)、強豪オランダにも善戦し2勝1敗でトーナメント進出を果たした。トーナメントでは1回戦のパラグアイ戦でPK負けしトーナメント初勝利はならなかったが、戦前の評価を大きく覆す健闘をみせた。

南アフリカ大会終了をもって代表監督を退任、現在は日本サッカー協会(JFA)理事を務める。

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