概要
旭川工業高校から1983年のドラフト5位で阪急ブレーブスに入団。
その実績と端正な顔立ち、およそ野球選手らしくない細身な体型から同リーグの西崎幸広・阿波野秀幸・渡辺久信らと共にトレンディ・エースと呼ばれ、「星の王子さま」の愛称で親しまれた。
2000年にFA権を行使して阪神タイガースに移籍。2年連続で開幕投手を務めたが、2001年に患った頻脈が原因で2002年に現役引退。通算176勝140敗。
その後は、阪神タイガース、オリックバファローズでコーチを歴任。2013年現在、オリックスの一軍投手コーチをつとめている。
その他
入団当初、180cmの身長に体重65㎏というプロ野球選手らしからぬガリガリな体型のせいで、「コイツはこの世界でやっていけない」と酷評されていた。しかし、それをバネにして力任せや球威偏重ではない独自のスタイルを洗練することでプロ入りを果たし、球界を代表する投手の一人にまで上り詰めた。
阪神時代には「中日キラー」と呼ばれ、彼が登板した中日戦はほとんど勝っている。
球速が遅いピッチャーで最速130km/hそこそこの速球に90km/h台のスローカーブ、フォークボールという先発投手としては非常に少ない球種で勝負していた。もっとも直球と変化球(特にスローカーブ)の球速差が大きいことに加え、球の出所が分かりづらい投法と緩急を駆使するピッチングスタイル(猫招き投法)のため、打者にとっては体感的にはスピードガン以上に「球の早い」イヤらしい投手であった。
通算2041奪三振と、球が遅いにもかかわらず「狙って三振を獲れる」タイプの投手である。
この球速が遅いという事で外せないのが、1990年9月20日の日本ハム戦で星野の球をキャッチャーの中嶋聡が素手でキャッチ、星野より速い球で返球したため観客席や両軍ベンチが起きてしまったのである。なお、投球練習をする時にも中嶋は素手キャッチをしばしばやっていた。
後にテレビ番組に出た際には星野も「球が遅いのはわかってるけど落ち込むからせめてミットで取ってくれ」とこのことを冗談交じりに愚痴っていた(無走者の状態だったため)