本記事では2代目(夕雲型駆逐艦)として説明する。
概要
「巻雲」は1939年度(マル4計画)仮称第117号艦として藤永田造船所で建造され、1942年3月14日に竣工した夕雲型駆逐艦の2番艦。艦名は2代目で、初代は日露戦争の際に旅順で戦没した帝政ロシア海軍の水雷巡洋艦「フサードニク」をサルベージの上、日本海軍の駆逐艦として再利用したもの。
同型3番艦の風雲とは同じ日に起工した艦どうしでもある。
竣工と同時に横須賀鎮守府籍となり、夕雲・風雲および陽炎型駆逐艦の秋雲とともに第10駆逐隊を構成した。
2隻の空母の雷撃処分を余儀なくされる
初陣はミッドウェー海戦で、当初は専ら蒼龍の傍らにあり、蒼龍が大破炎上した際、乗組員の救助および消火作業に当たっていた。この際、巻雲艦長の藤田中佐は、蒼龍艦長の柳本大佐を退艦させようと、救助隊を編成して炎上する蒼龍に送り込んだが、柳本大佐はこれを拒絶し、蒼龍と運命を共にした。その後、本艦は磯風・浜風と交代する形で蒼龍のもとを離れ、飛龍のもとへ向かうも、その飛龍すらも大破炎上して総員退艦となったため、これを雷撃処分することになる。
また、南太平洋海戦では大破した米空母ホーネットを秋雲と共に追跡する。
ホーネットの排水量は巻雲のそれ(52,000馬力)の10倍もあり、駆逐艦2隻で曳航できるかどうか疑わしく、この直前にホーネット曳航を試みた米重巡ノーザンプトンの機関出力ですら107,000馬力にとどまる。またそれ以前に、大炎上中のホーネットへの接近は不可能だった。そんな中、敵の潜水艦に探知されるリスクを承知で、突如秋雲が探照灯を照射。巻雲は「何事かある」と秋雲に発光信号で問い質した。
結局、ホーネットの曳航は出来ず最終的に雷撃処分した。
このため、世界でも珍しい(敵味方両方とはいえ)空母二隻を雷撃で沈めた駆逐艦となっている。
この時秋雲の乗員がホーネットの最期をスケッチしていて色々あったのだが、それはまた別の話。
最後の戦いとなったのはガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)。本艦はこの作戦に従事した際、カミンボ沖で機雷に接触、航行不能となってしまう。夕雲が曳航したが、浸水と損傷がひどくなりこれを断念。夕雲に生存者を移乗させ、巻雲は雷撃処分された。本艦は同作戦唯一の沈没艦かつ、アイアンボトム・サウンドに沈んだ最後の日本海軍艦ともなっている。
3代目「まきぐも」
巻雲の艦名は戦後、海上自衛隊の「やまぐも」型駆逐艦「まきぐも」(DD-114)として受け継がれ、これが3代目となる。初代・2代目と同じく3代目の「まきぐも」も2番艦である。
本艦は1966年に竣工し、晩年は「あさぎり」型護衛艦の就役が進んだことから練習艦に転用、艦番号もTV-3507となる。
1995年、専用練習艦「かしま」の就役にともない引退した。
なお3代目「まきぐも」の艦番号であるDD-114は現在、「たかなみ」型護衛艦最終5番艦「すずなみ」の艦番号になっている。ちなみにこの「すずなみ」も先代巻雲の同型艦・涼波の名を受け継いだ。
関連項目
高波(艦隊これくしょん)/同型6番艦の高波の名を受け継いだ現役の海自艦として、「すずなみ」の同型艦「たかなみ」がある。