概要
「たかなみ」は海上自衛隊の護衛艦の名称。艦名は日本海軍の夕雲型駆逐艦「高波」(初代)から引き継いだもので、2代目(あやなみ型)、3代目(たかなみ型)とも艦番号はDD-110である。
同様にあやなみ型・たかなみ型がそれぞれ2代目・3代目として存在する事例に「おおなみ」(初代は旧海軍の夕雲型駆逐艦「大波」)、「まきなみ」(同「巻波」)があり、これらも2代目の艦番号を3代目が継いでいる。
震災の救助活動やエア・アジア機捜策活動にも従事した3代目
現在運用中の3代目「たかなみ」は、第4世代の汎用護衛艦であるたかなみ型護衛艦のネームシップで、中期防衛力整備計画に基づく平成10年度計画4,600トン型護衛艦2239号艦として、住友重機械工業追浜工場で2000年4月25日に起工し、2001年7月26日に進水、その後、同・浦賀工場で艤装ののち、2003年3月12日に就役した。竣工時は第1護衛隊群第5護衛隊に編入され、横須賀に配備された。
2004年8月9日、テロ対策特別措置法に基づき、イージス艦「きりしま」と共にインド洋に派遣、同年12月まで任務に従事するも帰国の途中にスマトラ島沖地震の発生を受け、国際緊急援助隊派遣法に基づいてタイに派遣され、遺体収容を行い(自衛隊タイ派遣)、2005年1月11日に帰国した。
2007年5月にはシンガポール海軍主催のWPNS(西太平洋海軍シンポジウム)多国間海上訓練に参加。2009年には第3次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖へ展開、34回計283隻の船舶を警護して、2010年3月18日に帰国した。この間、2008年3月26日に護衛隊改編により現在の第2護衛隊群第6護衛隊に編入されている。
2011年3月には、東日本大震災発生にともない海上自衛隊の先陣として東北沖へ急派され、宮城県石巻港近くの岸壁に孤立していた幼稚園児11人を含む135人を救助。
同年10月には第10次派遣海賊対処行動水上部隊として、さらに2014年には第19次派遣海賊対処行動水上部隊として同型艦「おおなみ」と共にソマリア沖・アデン湾へ向けて展開した。2014年のソマリア沖派遣では、アデン湾においてNATO軍との共同訓練にも参加している。
この2014年度のソマリア沖派遣では、任務を終えて帰国する途中にエア・アジア8501便墜落事故が発生。「たかなみ」は「おおなみ」とともに日本政府からの派遣命令を受け、1月3日から9日までの間、エア・アジア航空機消息不明事案に関する国際緊急援助活動に従事した。帰国したのは1月24日のことである。
また2016年には、ニュージーランド海軍主催国際観艦式、ADMMプラス海洋安全保障実動訓練マヒ・タンガロア16に参加したのちガダルカナル島に渡り、ソロモン諸島で収集された戦没日本兵の遺骨を迎え入れて帰国した。日本艦がこの大役を果たしたケースは練習艦「かしま」に次ぐ。
2017年1月1日現在も定係港は横須賀のままである。
浦賀船渠のフィナーレを飾る
住重浦賀は初代高波が生を受けた浦賀船渠の後身にあたり、平成に入ってからも沿岸護衛艦2代目「せんだい」や3代目「とね」、汎用護衛艦4代目「ゆうだち」、訓練支援艦3代目「てんりゅう」を手掛けたが、3代目「たかなみ」は、奇しくもその住重浦賀の建造による最後の海自艦ともなっている。
2代目「たかなみ」
あやなみ型護衛艦の2代目「たかなみ」は、昭和32度計画1,700トン型警備艦1610号艦として、三井造船玉野事業所で建造され、1959年8月8日進水、1960年1月30日就役の後に呉地方隊に直轄艦として編入、同年8月31日、呉地方隊隷下に新編された第11護衛隊に同型の「おおなみ」とともに編入された。
当初は後甲板の爆雷投射機2基、爆雷投下軌条2条が存在したが、のちにこれらを撤去し、可変深度式ソナー(VDS)OQA-1Aを装備した。
1973年には第11護衛隊が第3護衛隊群隷下に編成替えとなり、ここで定係港が佐世保に変わった。
1985年3月27日付で特務艦に種別変更され(艦番号DD-110→ASU-7009)、佐世保地方隊直轄艦となる。
あさぎり型護衛艦の導入にともない、1989年3月24日を最後に除籍された。
この2代目「たかなみ」が建造された三井玉野ではのちにあぶくま型沿岸護衛艦の「あぶくま」「おおよど」、(新)むらさめ型汎用護衛艦「はるさめ」、音響測定艦「ひびき」型が建造されている。
関連タグ
本艦以外で第2護衛隊群第6護衛隊配属の海自艦
第1護衛隊群第1護衛隊配属の海自艦
その他、横須賀基地配属の主な海自艦
ちよだ(潜水艦救難艦)
日本海軍
赤城(空母):映画「永遠の0」では劇中の回想に空母赤城が登場するが、そのカットのうちのいくつかは3代目「たかなみ」を元にレンダリングされた。