リシュリュー
りしゅりゅー
リシュリューとは
- 実在の、フランスの宰相にしてカトリック教会の枢機卿。リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシ。
- 1.の人物をモデルとした、『三銃士』及びその派生作品の登場人物。
- 1.の人物に端するフランスの爵位。
- 1.の人物から名前を採られたフランス海軍の艦艇。特にリシュリュー級戦艦とそのネームシップを指す。
- モンスターストライクに登場するモンスター。リシュリュー枢機卿→魔真卿リシュリュー→暗黒司祭リシュリューの順に進化する。
- 4.を擬人化した戦艦少女の登場キャラ。黎塞留のタグが付けられる。愛称は黎姐。2014年11月1日に行われた抽選会イベントの参加者の内、一人だけに贈られた。後日他のユーザーでも入手できるようになった。こちらの記事(外部リンク)かこちらの中国語記事も参照(外部リンク)。
故郷の開放のために戦います!提督、力を貸してください!
お前ヴィシー政権の手先だっただろと突っ込みたくなるが、あれはあれで植民地の防衛のために戦っていたので言ってはいけない。
1. リシュリュー枢機卿
私の第一の目標は国王の尊厳。第二は国家の盛大である |
信賞必罰など必要無い。必罰だけが重要だ |
(1585~1642年)
フランス国王ルイ13世の宰相を務め、中央集権体制確立と王権強化、行政組織の整備、文化政策などで絶対王政の基礎を築いた。
「フランスを服従させ、イタリアを恐怖させ、ドイツを戦々恐々たらしめ、スペインを苦悩させた男」と呼ばれ、生涯を通じ国内外に常に無数の政敵がいた。
性格的には陰気で癇癪を起こしやすく、一方でひどく塞ぎ込むこともあり、時には周囲を驚かす程に泣き出すこともあったと伝えられているが知人への手紙で「あれは全部演技」と書き残している。
先の丸いテーブルナイフはリシュリューの発案とする逸話がある。
マイナーな存在であったボルドーワインをパリに持ち込み広めたのはリシュリューと言われる。
当時の聖職者としては珍しく猫を飼い、特にルシファーと名付けた黒猫がお気に入りであった。
ペンは剣よりも強し
リットン男爵の戯曲「リシュリュー」の劇中の言葉。
「暴力に屈することなきジャーナリストの矜持」のように取られがちだが、実は敵対者たちを「俺が書類にペンで署名すればお前らの人生なんて終わる」と脅している。
→ペンは剣よりも強しを参照。
2. 三銃士のリシュリュー
フランス王国の宰相。王妃と政治的に対立しており、王妃の味方の三銃士・ダルタニャンたちと敵対する立場にある。
アラミスに「赤公爵」とあだ名される。
1973年の映画『三銃士』ではチャールトン・ヘストンが、2011年の映画『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」ではクリストフ・ヴァルツ(イングロリアス・バスターズのハンス・ランダ大佐役の人)が演じた。
マスケティアのリシュリュー(イラスト右)
4. リシュリュー級戦艦一番艦「リシュリュー」
リシュリュー級の記事も参照。
海軍休日明けにフランス海軍が生み出した戦艦であり、フランス最後の戦艦の艦級となったリシュリュー級の一番艦。同型艦にジャン・バールがある。
リシュリューの名を冠する艦は他に装甲艦リシュリューがあり、この艦は二代目である。
特徴
戦艦は進化するにつれて主砲塔の数は少なく、砲塔1基あたりの門数は多くなる傾向にあるが、リシュリュー級はその極致ともいえる4連装2基であり(砲塔の中央に強固な隔壁があり、左右2門ずつ戦闘室が独立している。実質2連装砲塔×2×2)、いくら防御力が高まるとはいえ、砲塔が一つダメになると火力半減という危険を冒しているのはアグレッシブである。さらに2基の砲塔を前部にまとめ、重要防御区画の短縮で浮いた重量分を装甲に充て、強化を図っている。主砲口径は、当時の欧州標準と言える38センチである。
速力は公試成績が31ノット。第二次世界大戦中にこれを上回ったのはニュージャージー(アイオワ級)の31.9ノット(1943年12月公試)と、ダンケルク級の31.5ノットのみである。
マストと煙突を合体させたMACKの元祖。
沿革
フランス降伏
ドイツ軍がブレストに迫り、1940年6月19日、まだ艤装工事中だったが、急遽フランス植民地・セネガルのダカール港へ向け脱出した。
6月22日、フランスがドイツに降伏。
7月7日、セネガルの総督がヴィシー政権側についたためダカール沖に航空母艦ハーミーズ(イギリス海軍)が現れ最後通牒を突きつけたが、フランス艦隊は拒否した。
7月8日、ダカール港に停泊中のリシュリューは、ハーミーズから発艦したソードフィッシュ隊による雷撃を受け、魚雷1本が命中し右舷のスクリューが破損。艦尾部の浸水により着底したが、数日後には浮揚された。
ダカール沖海戦
自由フランス軍のド・ゴール将軍とイギリス首相ウィストン・チャーチルの思惑が一致し、ダカール占領のための自由フランス軍兵員輸送船団と、カニンガム中将率いるイギリス艦隊が送り込まれた。
9月23日、ダカール港のフランス艦隊は降伏勧告を拒否し、イギリス艦隊との戦闘が始まった。自由フランス軍は上陸できなかった。
9月24日、航空母艦アークロイヤル(イギリス海軍)の艦載機により爆撃を受けたが、至近弾のみだった。兵士が作業を誤ったことから2番砲塔の主砲2門が破損した。戦艦バーラム(イギリス海軍)の15.2cm副砲弾2発が直撃した。リシュリューの主砲弾1発、副砲弾2発がバーラムに命中し中破させた。自由フランス軍は上陸できなかった。
9月25日、アーク・ロイヤルの艦載機により爆撃を受けたが、被害はなかった。戦艦レゾリューション(イギリス海軍)が潜水艦ベヴェジエ(フランス海軍)の雷撃で大破し、イギリス艦隊はシエラネシオのフリータウン港に退避した。
ヴィシー政権との全面戦争に発展しかねないため、ダカール上陸作戦は中止となった。
連合国側への参加
1942年11月、アフリカ植民地のフランス軍は自由フランス軍側についた。
1943年2月、リシュリューはニューヨーク港に到着し、ブルックリン海軍工廠(アメリカ)で完工工事と修理を受けた。工事は10月10日に完了した。
1943年11月からイギリス本国艦隊に所属。
1944年3月からイギリス東洋艦隊に所属。日本軍基地への艦砲射撃などを行う。
1945年5月、重巡洋艦羽黒の迎撃に参加するが、羽黒は5月16日のペナン沖海戦で駆逐艦隊に撃沈された。
8月15日、ダーバン(南アフリカ)で修理中、日本が無条件降伏。一度も枢軸国の軍艦と戦わないまま第二次世界大戦を生き延びた。
戦後
1945年9月、第一次インドシナ戦争に向かうフランス軍の兵員輸送船を護衛。艦砲射撃などを行う。
1946年2月11日、トゥーロン港に帰還。
1958年、予備役となる。
1968年、ジェノバで解体された。ブレスト港にはリシュリューの主砲1門が展示されている。
性能諸元(1944年)
全長 | 247.9m |
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全幅 | 33.0m |
基準排水量 | 35,000t |
満載排水量 | 47,548t |
武装 |
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艦載機 | ロワール・ニューポール130飛行艇3機 |
装甲 |
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出力 | 150,000馬力 |
速力 | 31ノット |
航続距離 | 1,000浬/12ノット |
乗員 | 1,620名 |