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ペナン沖海戦

ぺなんおきかいせん

ペナン沖海戦とは、第二次世界大戦中の1945年5月16日に日本海軍と連合国軍(イギリス海軍)との間に発生した海戦である。また、諸説存在して明確に定まっていないが、この海戦を「第二次世界大戦最後の水上戦闘」とする場合もある。
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海戦までの経緯

南方軍の黄昏

太平洋戦争緒戦の快進撃により東南アジア各地を占領し続けた日本陸軍であったが、連合国側が体勢を立て直し反攻に転じたことから進撃は止まり、徐々に劣勢に追い込まれていた。状況打破を目的に立案されたインパール作戦も、補給の必要性を承知しながらも万全の備えを整えることができなかった軍上層部が、現場で戦う将兵の敢闘精神に全責任を押し付ける形で強行したことから失敗に終わった。


太平洋戦争初期は植民地支配からの解放を謳い、現地の支持を集めていた日本軍は占領を当初はスムーズに進めた。しかし、あくまで戦勝後の独立支援であり、それまでは事実上日本の支配下の植民地という扱いになったことから失望を買う。さらに文化の違いによるすれ違いと、戦況悪化するにつれて余裕を失っていった日本軍の態度が硬化しだしたことから、徐々に反感を買うようになる。


特にインドに展開するイギリス軍と対峙する最前線のビルマにおいては、日本軍に協力的だったビルマ国民軍や現地住民は、先のインパール作戦の惨敗とその後の日本軍現地司令部の迷走に見切りをつけて離反を始める。政治的にも戦略的にも失策を続けて消耗しきった日本軍は残存部隊の建て直しすら満足に行えず、連合国軍の反撃によりビルマ戦線は崩壊、状況は悪化の一途をたどっていた。


満身創痍の第十方面艦隊

レイテ沖海戦によりフィリピン方面の制空権と制海権を失い、本土と南方の航路が事実上寸断される。日本海軍は残存艦艇と資源を積んだ輸送艦を可能な限り本土へ回航させるものの、潜水艦と艦載機が跳梁跋扈する危険水域で犠牲になる艦も増え続け、南方に取り残される艦艇も発生する。


日本海軍は東南アジアに残留した艦艇を中核にして独立艦隊を編成、第十方面艦隊としてシンガポールを拠点に活動を開始させる。しかし、所属している艦艇のうち稼働艦は少なく、ほとんどが航行不能状態の損傷艦か外洋航行能力に乏しい小型艦ばかりであった。


妙高型重巡洋艦足柄羽黒、そして神風型駆逐艦神風は数少ない稼働艦であり、艦隊の主力であった。ただし、この3隻のうち無傷の艦は神風のみで、足柄も羽黒もフィリピン方面での戦闘で受けた損傷をほとんど修復されないまま運用されている。


イギリス東洋艦隊の脅威

太平洋戦線でのアメリカ軍の進撃に呼応し、イギリス東洋艦隊を中核とした連合国軍はインド洋での活動を活発化する。特にナチスドイツ降伏が決定的になった頃からUボートの脅威が消え去り、通商保護に使用していた戦力を対日戦に転用して東南アジア各地の日本軍拠点や油田地帯への空襲を開始する。


1945年5月にビルマ首都ラングーンを占領し日本軍を駆逐した連合国軍は、マレー半島及びシンガポール奪回作戦を立案している。その一環として、潜水艦による哨戒網をシンガポール近海まで展開して日本軍の動きを探ると共に、空母機動部隊による港湾施設や軍事施設への爆撃を各地の日本軍拠点に対して行い、来るべき決戦に備えていた。


海戦

参加兵力

日本海軍:羽黒(重巡洋艦) 神風(駆逐艦

連合国軍(イギリス海軍):ソレマズ ヴェルラム ヴィジラント ヴィーナス ヴィラーゴ(いずれも戦時量産タイプだが新鋭の駆逐艦)


に号演習

戦線の建て直しに奔走していた南方軍は、兵力と物資の輸送を第十方面艦隊に依頼していた。しかし、鈍足の輸送艦では艦載機や潜水艦の餌食になり、民需用物資の輸送船すら不足していた状況から、代用として大型の艦体を持つ足柄と羽黒が輸送任務に就くことになる。


1945年5月12日、インド洋アンダマン諸島への食料や医薬品、燃料などの輸送と、傷病兵の引き上げ(に号演習)を命じられた羽黒は、甲板に物資を積み上げて護衛の神風と共にシンガポールを出撃する。この際、積載量を増やすために羽黒からは砲弾の半数と全ての魚雷を降ろし、神風は魚雷発射管そのものを取り外している。軍艦としては手も足も縛られた状態であったものの、作戦後に浮き砲台になることが決定していたこともあり、「羽黒の最後のご奉公」と乗組員たちの士気は高まっていた。


出撃後は航路偽装などを行って警戒していたものの、潜水艦からの奇襲(見張り員の機転により損傷なし)や航空機からの攻撃を受けたことから、羽黒に座乗していた第五戦隊司令官橋本信太郎中将は連合国軍に捕捉されていることを懸念する。その懸念は、付近を哨戒中だった日本陸軍機から敵艦隊接近の報を受けたことから確信に代わり、作戦中止を決断してマラッカ海峡のペナン島への退避を命じる。


デュークダム作戦

羽黒と神風の出撃はシンガポール近海で哨戒活動中の潜水艦二隻に察知され、その通報を受け取った東洋艦隊は要撃のためにデュークダム作戦を立案。ビルマ近海で支援活動中だった英戦艦クイーン・エリザベスと仏戦艦リシュリューを中核とした第61部隊は、出撃命令を受けて進撃を開始した。


要撃部隊は味方艦載機からの偵察により羽黒と神風の目的地がアンダマン諸島方面と確定し、同諸島近海に展開する。さらに、退避中の羽黒と神風を追撃するために英海軍駆逐艦5隻で編成された第26駆逐隊を分派し、攻撃準備を着々と整えていた。


月夜の遭遇戦

1945年5月16日午前2時頃、日本軍勢力圏内であるマラッカ海峡に侵入してきた第26駆逐隊はペナン沖にて羽黒と神風をレーダーにて捕捉する。羽黒の電探も接近する艦影を距離2万メートル前後で捉えていたものの、味方勢力圏内であったことから数分ほど敵味方の判断に迷い、月明かりに浮かび上がったシルエットから敵艦だと気付いたときには7千メートルの至近距離まで踏み込まれていた。

第26駆逐隊の大胆不敵な行動に対し、羽黒乗組員の1人はプリンス・オブ・ウェールズレパルスの仇を討つために英海軍は必死になっている」と感じたという。


先手を取られた形になった羽黒と神風であったが退避することもなく、甲板上で主砲の旋回を妨げているドラム缶などの物資を放棄しながら果敢にも打って出る。羽黒の第二斉射は駆逐艦ソレマズに命中するものの、直後に艦前方の二番砲塔付近に魚雷が命中して電源に損傷が発生、艦の全機能が停止した。さらに投棄しきれずに甲板上に残されていた燃料入りのドラム缶に引火して大火災が発生、艦橋前方に白熱する火柱が燃え上がった。


神風、戦線離脱

炎上中の羽黒は、夜闇の中でハッキリと目立ち攻撃が集中する。神風は羽黒を庇いつつ照明弾と煙幕を駆使し、第26駆逐隊を必死に牽制し続けた。しかし、魚雷を持たない駆逐艦にそれ以上の反撃を行う術はないことから戦線離脱を決断、周囲を包囲し始めた第26駆逐隊の間隙を突破してペナン島方面へ退避する。同じ頃、羽黒艦橋の橋本中将も神風に対して戦線離脱を命じていたが、電源を喪失していたことからそれを伝える術がなかった。


包囲網を突破した神風は、偶然にも前方に発生していたスコールに飛び込む。そのまま第26駆逐隊のレーダー索敵を振り切って戦線離脱に成功し、味方を見捨てる決断に苦悩しながらペナン島へと向かった。離脱の際、神風乗組員は火だるまになりながらも残された武装を使って必死に反撃を続ける羽黒の姿を目撃し、それを後に「阿修羅の如し」と称えている。


羽黒、最後の戦い

艦前方の砲台や銃座、発電機を被弾の損傷と火災により失ったものの艦後部の発電機の応急修理により電源の復活に成功し、羽黒は再び動き出す。舵の人力操作で傾斜を立て直して戦闘態勢を整えた羽黒は離脱中の神風を支援するべく囮となり、至近距離まで接近してきた第26駆逐隊に対して残された全砲台を駆使して反撃を開始した。しかし午前2時35分頃、2本目の魚雷が機関室に直撃して機能停止、機関室の主要士官が全滅する。

この一撃でついに羽黒の全機能は失われて洋上で停止し、傾斜も一気に進むことになる。この頃、総員退艦命令が出されるものの、発令直後に艦橋へ砲弾が命中し首脳陣がほぼ全滅。艦の頭脳と心臓、双方を失った羽黒の沈没も時間の問題となった。


退艦命令により艦各所の乗組員は続々と退艦準備を始めたが、一部の者は退艦命令を拒否して戦闘を続行。動力を失って動かなくなった高角砲を手動で操作して標準を合わせ、燃え盛る火災と降り注ぐ砲弾の中で反撃を続けた。

この決死の反撃により第26駆逐隊はトドメの一撃を与える機会を得られず、羽黒へ向けて放った魚雷を30本以上も外している。大破炎上する艦上で行われた羽黒乗組員の奮戦を、対峙した第26駆逐隊司令官マンリー・ロレンス・パワー大佐は「日本海軍の精華」と称賛している。


午前3時30分頃、4本目の魚雷命中(命中した魚雷は3本だったという説もあり)により羽黒はついに力尽き、艦首から沈没する。なお、羽黒の高角砲は、砲座が海面下に沈むその瞬間まで砲撃を続けていた。


海戦終結、そして

羽黒沈没後、第26駆逐隊はカッターを出して生存者の救助活動を開始し、夜明け前に第26駆逐隊は救助活動を打ち切って撤退する。海面には敵に救助されるのを良しと考えなかった者たちが残されていたが、ペナン島から引き返してきた神風によって救助され、羽黒乗組員1055名のうち304名が生還している。


生存者の証言によると、羽黒艦長杉浦嘉十少将(戦死後、中将に特進)は艦橋被弾時に重症を負ったものの生存しており、羽黒沈没直後に海上に投げ出されて漂流していた。付近に居た他の乗組員に「離脱に成功した神風がきっと迎えに来る、諦めずに頑張れ」と励ました後、沈んだ羽黒を追いかけるかのように海面から姿を消したという。


この海戦で羽黒を失い、さらに翌月には足柄も輸送作戦中に失った第十方面艦隊は僅かな陸戦部隊や航空部隊が残されるのみとなり、ほぼ無力化することとなった。羽黒の尽力により死地を脱することが出来た神風は終戦まで生存し、小規模な輸送任務を何度か行っている。


余談ながら、神風は1945年7月に行われた輸送作戦中に米潜水艦部隊と遭遇。潜水艦部隊と断続的ながらも往路と復路合わせて数十時間にも及ぶ苛烈な襲撃を受けながらも生還し、アメリカ海軍潜水艦部隊から警戒と称賛を最も集める駆逐艦となった。


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