第三種軍装とは大日本帝国海軍で使用されていた制服である。
イギリス海軍の制服を参考とした第一種軍装や第二種軍装と異なり、日本独自の様式である。
概要
源流は海軍陸戦隊が使用していた陸戦服に遡る。第一種軍装や第二種軍装と異なり、階級によって大きく形状が異なるという事はない。
昭和19年以前は略装や陸戦用被服と称されていたが、昭和19年以降は正式な軍装とされた。
細かい改良がなされた為、バリエーションが多岐にわたるが、一般的な物のみ記述する。
陸戦隊用被服(略装)
陸戦隊や航空部隊所属の士官や准士官及び下士官兵が着用していた青褐色の背広型の被服である。
士官向け軍衣は3ボタンの背広型、襦袢は折襟で第一種軍装着用期にはネクタイを着用する。(制定時は蝶ネクタイであったが、間もなく通常の剣状のネクタイとなった)
夏季においては開襟である。
ボタンは第二種軍装のものと同様に金色で「桜に錨」の意匠が打ち出されている。
階級章は上襟に装着する。(肩に着用していた時期もあったが「藪漕ぎをすると階級章が引っかかる」というクレーm… 報告があった為、第一種軍装と同様のものを襟に着用した)
物入れの形状は、年代により差異がある。
陸戦の際には軍衣の上に革帯を巻き士官は軍刀を、下士官兵は銃剣を装備する為、腰部左後方に剣吊りが付く。
下士官兵に向けて生産されたものは、ボタンの間隔が広く空けて襟元を狭めた3ボタンのものと、4ボタンのものがあり、陸上での戦闘や各種作業を効率的に行えるよう意識したものであった。
最末期に本土決戦を想定して作られた物には樹脂製のボタンの物も存在する。
第三種軍装
陸戦服(略装)を基に昭和19年に第三種軍装として制式化された際の様式。
ただし、制式化以前の様式の物をそのまま(或いは小改造して)着用することも許された。
- 略帽(戦闘帽)
陸軍の戦闘帽や第一種軍装の艦内帽と同様のもの。
生地は青褐色で軍衣袴と同じ物。
帽章は、士官、下士官、兵で意匠の細部が異なる。
階級によって、識別線が入る。
- 軍衣
青褐色の4ボタンの背広型のジャケットである。
物入れは、胸部左右と腰部左右の計4箇所。
士官にあっては、下襟に階級章を装着する… が、偶に従前のように上襟に付けていた人も居たそうである。
下士官兵は臂章にて所属及び階級を示す。
陸軍将校の軍服と同様に海軍士官の軍服も、自弁調達による私物だったため、陸軍の「青年将校スタイル」程極端ではないものの、士官の服は持ち主の好みが反映されていた。
当然、下士官兵に支給されていたものと異なり仕立ては良く、生地の色合いにはバリエーションがあり、特に青みが強いものが人気であった。
軍衣は4ボタンとする規定であったが、士官の間ではスマートな従前の陸戦服同様の3ボタンのものが好まれた。
また、背面に関する規定がなかった為、士官服では腰部に飾り帯を入れて背中にプリーツを設けるスタイルが人気であった。
下士官兵に支給されていたものは、様式は士官用とさほど変わらないものの完全な量産品であり、生地は荒い厚手のもので細部は生産性と実用性を考慮したものであった。
- 軍袴
一般的に短靴或いは半靴の着用を想定したストレート形である。
しかしながら、陸上勤務の士官向けのものの中には、長靴や革脚絆を着用する為に乗馬ズボン形としたものもあった。
下士官兵は、状況によっては軍衣の裾を軍袴にたくし込むこともあった。
革脚絆を着用する士官。
- 襦袢(シャツ)
襦袢は士官及び准士官にあっては折襟の襦袢を着用し、第一種軍装着用期はネクタイを着用、第二種軍装着用期や南方においては開襟とされた。
襦袢は白色のものと淡い若草色のものがあった。
下士官兵は、従前の第一種軍装や第二種軍装と同じ襦袢が使用された。
水兵長
余談
日本独自の軍服として、何度も改良が重ねられた上に最末期には物資欠乏のため簡略化もなされ、士官用の服にあっては(ある程度)個人の嗜好も反映されていたため、極めてバリエーションが多い服である。
また、第三種軍装として制式化されたのは昭和19年のことであるが、昭和10年頃にこの種の服を「第三種軍装」と書いた書類が存在するなど、色々とややこしい服である。
また、白黒写真のうち古くて解像度が荒い写真で見ると陸軍の開襟型の防暑服とそっくりさんである。
別名・表記ゆれ
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