第二種軍装とは大日本帝国海軍の制服のうち、夏季の通常勤務および戦闘時に着用されていた制服である。
その華やかな見た目から、創作作品等で人気が高い一方で「白さ」を保つ為に苦労が耐えなかったそうである。
冬季に着用されていた第一種軍装と同様、士官用と兵用では形状が大きく異なる。
夏季用の制服ではあるものの、赤道直下の南方では暑すぎる為に、防暑服が別に制定された。
概要
第二種軍装に限らず、軍服は細かい規定の改訂が頻繁にあり、また兵科や階級によって細部が異なる事が多い。
これらの点をすべて網羅することは困難なので、一般的な概略のみ記述する。
士官用
- 軍帽
濃紺の第一種軍装の軍帽に白色の日覆いを被せて着用する。
- 艦内帽
陸軍の戦闘帽と同じ形状の白色の木綿製の帽子。
当初は識別線が入っていなかったが、識別線を入れるようになってからは、士官用にあっては紺色の識別線が2本入る。
- 軍衣
前合わせは5つボタンでボタンには「桜に錨」の紋章が入る。
階級章は肩章を用いる。
裏地は付いていない。
- 軍袴
第一種軍装と同形状の白いズボンである。
- 短剣
士官は短剣を佩用する。
- 靴
革靴を着用する。
白い革靴と黒い革靴の両方の着用例が見られる。
- 襦袢
第一種軍装着用時と同じ物を使用する。
即ち、襟が交換可能なもので立襟を付けて着用する。
そのため軍衣には「カラー」は無い。
- 胴着
第一種軍装と同様に、胴着も着用する。
色は白色である。
下士官用
役職や階級によって様々な種類がある。
概略のみ記入する。
なお、下士官のうち3等兵曹は兵用のものを着用する。
- 軍帽
第一種軍装の軍帽に白色の日覆いを被せて着用する。
- 艦内帽
陸軍の戦闘帽と同じ形状のもので、白色の木綿製。
識別線が入れられるようになってからは、濃紺の識別線を1本入れる。
- 軍衣
第一種軍装の軍衣を白くしたようなもので、一目見ると士官用と変わらないように見える。
しかしながら、下士官用の第一種軍装と同じく所属兵科と階級を臂章で表すため区別は容易である。
下士官用、兵用共に昭和17年を境に臂章の形状が大きく変化する。
兵用
3等兵曹及び兵が着用する。
兵卒は現場で活動する要員なので兵科や状況によって、戦闘時や作業時、訓練時には煙管服や事業服を着用する事もあった。
そのため、士官用や下士官用と比べてもより「制服」としての意味合いが強かったと思われる。
- 軍帽
士官用、下士官用と同様に、白色の日覆いを被せて着用する。
- 軍衣
白色のセーラー服である。襟は第一種軍装と同じ物を用いる。
第一種軍装と同様に、所属兵科と階級を臂章で示す。
軍衣と軍袴で材質が異なる。
- 脚絆
陸戦時や定めがあった際には脚絆を着用する。
善行章 特別善行章
下士官および兵は勤務年数や功績に応じて善行章および特別善行章を着用した。
様式は、第一種軍装と同様。
善行章が多い下士官兵は畏敬の念を集めた一方で、例えば善行章の本数が多すぎる兵(勤続年数は長いのに下士官に昇進できていない)や、善行章が無い下士官(素行不良どころか敵前逃亡などで善行章を剥奪された下士官)など、階級や勤続年数に応じたものでないと、あまりよい感じではない。
昭和17年より人事制度が大きく変わり、善行章の無い下士官が大幅に増加した。
飛行練習生 飛行予科練習生
飛行練習生及び飛行予科練習生たる下士官兵の為に昭和17年に特別に制定されたもの。
予科練の応募資格は海軍兵学校と同等のものであったが、入隊すると4等水兵に任ぜられ兵用のセーラー服を着用する規定であった為大変不評であった。
このため、軍楽隊と同じ7ボタンの短ジャケット型の制服が制定された。
第二種軍装においては白地の制服であった。
余談
ある若い兵がお盆に地元に帰省したときのこと、向かいの道から純白の服を着た立派な紳士が歩いてくるのが見えた。紳士は壮齢で威厳に満ちており頭に白い制帽、白い詰襟の制服、肩に階級章が付いており腰に剣を吊っているのが見える。どうも… いやどう見ても夏服を着た海軍士官に見える。
兵は若いので外出は当然白い第二種軍装。近付けば身分がバレる。欠礼しようものならえらい剣幕で怒られる… いや怒られるだけで済むか知らん…
普段ならいざ知らず帰省中まで制裁を喰らってはかなわんとその場で直立不動で敬礼する若い兵士。
すれ違いざまにゆっくりと答礼する紳士…
紳士の制服を見てその兵は驚愕し、そして後悔したという。
彼が敬礼した白い詰襟の制服を着た紳士は、海軍士官ではなく巡査であった。相手が巡査であれば組織が違うのだから敬礼は要らない。
「白い詰襟」は海軍以外でも至るところで盛夏服として使用されていたのである。
別名・表記ゆれ