大日本帝国海軍の航空兵養成制度の一つ。
正式名称は海軍飛行予科練習生。
概要
航空機操縦者や偵察員などの航空兵の育成を専門に行う制度である。
海軍では操縦者は下士官以上となっていたが、飛行予科練習生は教育終了と共に下士官に任官し、やがて特務士官として航空部隊の指揮に当たることが期待された。
応募資格は、当初高等小学校卒業以上の学歴で、満年齢14歳以上となっていた。
これは、操縦に関する素養はできるだけ若いうちに訓練しておいたほうが良いと考えられていた為である。
教育
当初は3年間という長期間であったが、徐々に短くなり太平洋戦争末期には僅かに6ヶ月という短期間で教育が行われた。
太平洋戦争期
海軍には様々な航空兵の養成制度が存在したが、太平洋戦争期に航空兵の多くを占めたのが飛行予科練習生であった。
末期になると、多くの者が特攻に向かい、乗るべき航空機が無くなってからは様々な特攻兵器の訓練に廻されたという。
また、「飛行予科練習生」という名称にもかかわらず、来たるべき本土決戦に備えて土木工事に従事させられ失望したものも多かったという。