概説
この人物は主として零式艦上戦闘機に乗り込み、戦績を挙げた。
撃墜数は本人が家族にあげた手紙では143機、新聞報道では150機体とされている。
公式記録では協同撃墜429機・撃破49機、この内単独撃墜36機・撃破2機となっている。
草鹿任一司令長官より100機撃墜記念の感状と軍刀を受預していることから少なくとも海軍航空隊内部では、100機以上の撃墜王として認識されていた。
一般に認識されているのは87機であり、これは虎徹岩本徹三の撃墜数80数機とほぼ同数。
80機を超える撃墜数を達成したエースパイロットとして認識されている。
大日本帝国海軍における撃墜数は、1943年以降の個人撃墜数の公式記録が存在しないため、撃墜数は自己申告や、他者の証言により行われる。
1944年10月26日、新しい飛行機を受け取る為フィリピンのマバラカット基地へ移動中に、便乗していた輸送機がハロルド・P・ニュウェル中尉のグラマンF6Fの攻撃を受けて撃墜され戦死した。
その驚異の強さから、戦後書かれた戦記では「ラバウルの魔王」と称される。
また坂井三郎・太田敏夫と合わせて「台南空の三羽烏」とも呼ばれた。
人物
180cmという当時の日本人男性としては頭一つほど背の高く、相撲や柔道も強かった美丈夫だったという。快活で社交的な一方、寡黙で強情なところがあり、それゆえ人と安易に慣れ合うことを嫌って孤独に甘んじるところもあったらしい。
また筋力こそ優れていたが内臓が弱く、よく顔を蒼くして不調を訴えることがあったとも。
岩本徹三とは互いにパイロットとしての腕を競い合うライバルであったともいわれ、フィリピンで岩本と顔を突き合わせた時には、普段口数少ない西澤が饒舌になって岩本と議論を交わしていたと記録されている。
関連タグ
西沢義子 (「西澤廣義」がイメージモデルのストライクウィッチーズのキャラクター)
:漢字表記に「沢」と「澤」、「広」と「廣」という違いがあるため、表記揺れが多数存在する。