ハルノート
はるのーと
概要
第二次世界大戦時に、アメリカ合衆国のハリー・D・ホワイト財務長官補佐が原案し、その後コーデル・ハル国務長官に提出され、大日本帝国に送られた交渉文書である。
日米交渉の最終段階に手校されたことから、しばしば最後通告であったと解釈、説明されることがあるが、ハル・ノートはアメリカ政府の正式な提案ではなく、最後通告に必要な期限の記述もないため、その条件を満たしてはいない。
その内容は以下の通りである。
合衆国政府及び日本政府に依って執らるべき措置
- 両国政府は、日米並びに英帝国、中華民国、和蘭、蘇連邦及び泰国間に多辺的不可侵協定を締結するに努力す。
- 両国政府は、日米並びに英、蘭、支、泰各政府間に、仏領印度支那の領土保全を尊重し、それに脅威をもたらすべき事態発生せばそれに対処すべく必要なる措置を執るための共同協議を開始し、また仏領印度支那における通商上の均等待遇を維持すべき協定の締結努力す。
- 日本は中国及び仏印より全陸海軍及び警察力を撤退す。
- 両国政府は、重慶政府以外の中国における如何なる政府もしくは政権をも支持せず。
- 両国政府は、団匪事件(※)議定書に基づく権利並びに居留地権を含む中国における一切の治外法権を放棄し、他国政府も同様の措置を執るとの同意を得べく努力す。
- 両国政府は、最恵国待遇及び貿易防壁の軽減に基づく通商協定締結のための交渉を開始す。
- 両国政府は、資産凍結を撤回す。
- 弗(ドル)円比率安定の計画に同意し、その資金を設定す。
- 両国政府は、何れも第三国と締結したる協定は本協定の基本的意図たる太平洋地域を通じての平和の確立及び維持と衝突するが如く解釈されることなきに同意す。
- 両国政府は、他の諸国をして本協定の基本的政治上及び経済上の諸原則に同意し、これを実際に適用せしめるが如く勧誘すべし。
※義和団の乱のこと。
戦争の原因
簡単にまとめれば
- 日本の支那・インドシナからの軍隊及び警察力の撤収
- 日本は重慶にある中華民国国民政府以外の支那におけるいかなる政府、政権を認めてはならない
- 日本の支那大陸における海外租界と関連権益全ての放棄(事実上の意訳)
となり、つまりは満州事変以前の状態に戻せという要求である。
当時のアメリカ合衆国政府において共和党下院議員だったハミルトン・フィッシュ議員によれば、この『ハルノート』の存在はアメリカ議会・外交院・軍人(ダグラス・マッカーサー元帥も含む)・アメリカ国民にさえ知らされていなかったという。
日本はどんな条件でも呑む覚悟で戦争を回避するつもりでいたにも関わらず、どんな国でも絶対に呑めない内容を突き付けてきたのである。
これを受け取った日本政府は愕然とし、色を失ったという。
もしこの要求を飲めば、日本の軍隊を当時の支那(現:中国)から引き揚げなければならず、そうなれば治安が維持できなくなり、 日本人居留民は租界も認められなければ日本に引き揚げざるをえない上、 辛亥革命以降、一国多政府の時代に突入した中国大陸で、戦乱と飢饉の拡大・繰り返しによって絶望の淵に追いやられ、日本に保護されていた中国の流民を見捨てることとなってしまう。
満州国も認めてはならないということであれば、満州に住んでいる日本人も日本へ引き揚げなければならず、そうなれば日本軍がいなくなった満州は荒廃してしまう(満州は、前述の辛亥革命以降、混沌とした中国の流民にとって最後の駆け込み寺だった)。
更にはソ連の南下を許して大陸に共産主義が蔓延し、朝鮮半島まで迫られれば日本は喉元にナイフを突き付けられたような状態になってしまう。
日本人を日本列島に押し込めて、 貿易を遮断し衰えさせるという魂胆があったとされ、この通告が、日本の真珠湾攻撃の原因、果ては日米開戦の原因とも言われる。
ちなみにハリー・D・ホワイト財務長官補佐は、後に公表された『ベノナ文書』によって、ソ連のスパイであったことが判明している。
戦争の原因?
……と言った具合に「米国の傍若無人なハル・ノート提示によって日本は開戦を余儀なくされたのである!」という主張がある一方で、ハル・ノートは日米関係にさしたる影響を与えていない、という見方も存在する。
よくよく言われる満州の件だが、この文書では、米国が満州国についてどのような要求をしているかがはっきりしない。
当時の情勢を考えれば、満州を認めないと考えるなら直接的にそのように記載するのが当然であり、実際ハル・ノートの原案には「中国(満州を除く)」と明記されていたようである。
これについては戦前の大日本帝国も同様に受け取っていた可能性がある。
そもそも当時の日本は12月1日の午前零時を以て交渉を打ち切ると決定していた。期限まで一週間も間がないこの時期、戦争を回避する可能性があるとすれば、アメリカが一から十まで日本の要求を丸呑みすることのみである。
当時の日本が国として開戦を避けようとしていたか、という部分も決定的なことは言い難い。
特に参謀本部は開戦一色に染まっており、日米交渉決裂のため、日本側の提案をより強硬なものにするよう心血を注いでいた。
またハリー・D・ホワイトについては、ソ連に協力的な行動をとっていた様子はあるものの、明確な指示を受けて行動していたという証拠はない。
ハル・ノートの内容は確かに日本にとって全く受け入れがたい(と受け取られかねない)ものであり、日米開戦の一因ではあったのだろうし、もしかすると開戦の日付が早まったかもしれない。
しかしながら、当時の日本は既に開戦へ秒読みを始めていたのであるから、これのみが原因であると結論するのは正しくない。