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井筒和幸の編集履歴

2017-10-04 23:14:43 バージョン

井筒和幸

いづつかずゆき

井筒和幸は、日本の映画監督、タレント。

概要

ピンク映画でデビューした後、一般映画に進出した。一般進出作『ガキ帝国』の成功により、吉本興業芸人が役者として起用される機会がたびたびある。

後述の理由でテレビ番組などメディアへの露出が多く、タレントとしても活動するほか、辛口評論やご意見番としての経歴も長いため、映画は観たことないが監督は知っているという人も少なくない。歯に衣着せず暴言も辞さないため発言が物議を醸すこともあるが、昔ながらの頑固親父といった立ち位置は変わることがない。

あだ名芸で知られる有吉弘行は、井筒に「ミナミのバーホーベン」というあだ名をつけている。


来歴

1952年12月13日生まれ。奈良県出身。

1975年、ピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』でデビュー。初期は「井筒和生」名義だったが、1981年の『色情女狩り』から「井筒和幸」となる。

同年、島田紳助らを主演に『ガキ帝国』で一般映画デビューを果たす。

1983年、あだち充漫画みゆき』を映画化する仕事を引き受けるが、原作が井筒にとって心底興味の持てないものだったらしく、制作期間中にストレスで状態に陥り、抗欝剤を服用しながら映画を完成させた。

1991年、『東方見聞録』の撮影中にエキストラの死亡事故が起きる。これにより業務上過失致死罪で遺族から告訴され、裁判では井筒側が敗訴。3000万円以上の補償金を支払ううえで友人に借金をし、返済のためにテレビタレントとしての仕事が増える。『東方見聞録』は完成したものの、上映は中止され、ビデオ販売のみとなった。

1996年、『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』でブルーリボン賞作品賞を受賞。

2005年、『パッチギ!』で二度目のブルーリボン賞ほか、数多くの映画賞を受賞。


作品

『行く行くマイトガイ 性春の悶々』1975年

『熱くて深い交わり 肉色の海』1978年

『暴行魔真珠責め』1979年

『足の裏から冥王まで』1979年

『僕と隠岐島号』1979年

『女教師 覗かれた暴行現場』1980年

『色情女狩り』1981年

『ガキ帝国』1981年

『ガキ帝国 悪たれ戦争』1981年

『赤い復讐 暴姦』1982年

みゆき』1983年

『晴れ、ときどき殺人』1984年

『(金)(ビ)の金魂巻』1985年

『二代目はクリスチャン』1985年

『犬死にせしもの』1986年

『危ない話 夢幻物語』第一話「ツタンカーメン王の呪い」1989年

『宇宙の法則』1990年

『東方見聞録』1993年 - ビデオスルー

『日本一の悪女? 雅美のパワーオブラブ』1993年

『罪と罰 ドタマかちわったろかの巻』1994年

『突然炎のごとく』1994年

岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』1996年

『さすらいのトラブルバスター』1996年

のど自慢』1999年

『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』1999年

『ゲロッパ! GET UP!』2003年

パッチギ!』2005年

『パッチギ! LOVE&PEACE』2007年

『TO THE FUTURE』2008年

ヒーローショー(映画)』2010年

黄金を抱いて翔べ』2012年


関連タグ

映画監督 / タレント

吉本興業


外部リンク

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